2015年5月10日日曜日

「神戸京都間鉄道開通式(2) 折田宮司の出迎え」『セルポート』150411号


神戸京都間鉄道開通式(2)
湊川神社折田宮司の出迎え

 

◆天皇到着  明治10128日午前630分、湊川尻で3発の信号が打ち上げられた。天皇が乗った高尾丸が神戸沖に到着したことを知らせる、見張り役からの合図である。

折田は115日以来、風邪をひいて体調がよくなく、連日、日記に「病中引入」と書いていた。それでも、折田は、直ちに礼服に着替えて、湊川神社境内で待機させていた神官、僧侶たち100名余を引率して神社を出発した。天皇を迎えるための整列場所は、あらかじめ、兵庫県と取り決めた「栄町通5丁目と6丁目の間」の道路沿いである。海軍兵士が最前列を警備した。栄町は明治6年末に完成し、明治7年に繁栄を願って「栄町」と命名されていた。

◆神戸郵便局  行幸目的は「神武天皇陵御参拝並に孝明天皇十年祭御親祭」であった。天皇は神戸から、京都、大和へ行幸される予定であった。

 当初、行在所は神戸郵便局と決められていた。神戸郵便局は、栄町の西端の栄町6丁目にあった。現在と同じ場所である。当時、天皇が宿泊できるホテルや旅館はまだなかったため、公共施設、寺院、富豪の自宅等が行在所になることが多かった。

横浜から神戸への航海中、荒天を避け、鳥羽に寄港して上陸して宿泊したため、神戸到着が1日遅れた。結局、神戸での宿泊は中止となった。

 午前9時、天皇は高尾丸から端船に乗り移り波止場を目指した。910分に鯉川尻の「第三波止場」に到着し上陸した。第三波止場は、アメリカ領事館の前にあったため、「メリケン波止場」と呼ばれた。アメリカは、慶応311月に神戸に仮領事館を開設した。

郵便局までのルートは現在の鯉川筋と栄町通である。騎馬の天皇を、沿道で、大阪鎮台の兵隊、小学生、住民が整列して奉迎した。郵便局到着は921分であった。

午後220分、天皇は騎馬で郵便局を出発した。午後227分、神戸駅から汽車で京都へ向った。神官、僧侶たちは、多聞通2丁目に整列して汽車を見送った。

午後4時、奉幣使式部助丸莞爾が湊川神社に参拝した。

緊張の1日が終わった。折田は日記に「上都合なり」と書いた。

◆京都での日程  

129日は東本願寺へ行幸、30日は「後月輪東山陵」において「孝明天皇十年御式年祭御親祭」を執行された。31日から24日まで、京都府庁、裁判所、博物館、中学校、製薬会社、女学校、女紅場(女子への読み書き、そろばん、手芸等の教育機関)、牧畜場、勧業院、織物工場、舎密局、加茂神社、寒天製造所、華族会館分局等へ行幸された。25日は、京都、大阪、神戸で京都神戸間鉄道開通式である。

当初の予定では、その後、天皇は大和に行幸し、221日に、再び、神戸から海路横浜経由で東京へ帰ることとなっていた。けれども、215日に、西南戦争が勃発したため、急きょ予定を変更し、そのまま京都に滞在することになった。

神戸に、西南戦争制圧のための兵站基地「運輸局」が設置された。

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