2016年1月30日土曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(2)~神戸と兵庫~(『セルポート』2016.1.21号)


神戸今昔物語(第531号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(74

『豪商 神兵 湊の魁』(2)~「新興神戸」と「守旧兵庫」~

◆先端神戸と守旧兵庫  明治1511月刊行の『豪商 神兵 湊の魁』は、神戸と兵庫の「先端企業名鑑」である。書名の「魁」(さきがけ)は「他に先んじる」という意である。

同書から、開港から約15年経過したころの神戸と兵庫の町の違いがはっきりと読み取れる。

開港場神戸では、洋食、パン、コーヒー、ビール、西洋小間物、洋服仕立、靴製造等の店舗、事業所が数多く立地し、欧風の生活文化が根付きつつあることがわかる。また、海岸通、栄町通、元町通等には三菱汽船向けの船客手荷物取扱業や、貿易商、茶貿易商、両替商、洋銀売買商等が営業していて、国際港湾都市、国際貿易都市への芽生えが見られる。一方、兵庫には、伝統的な米商会所、穀物仲買仲間、問屋、造船所等が立地している。

◆刊行の狙い  同書序文(現代文に意訳)は次のとおりである。 

兵庫の湊はその昔 平清盛の築給ひし処にして いと古き土地

そこは人家周密し 名に聞こえし商家軒を連ね

その上 大坂入船の要たれば 諸船集いて昼夜の分もなし

近年神戸開港なりて 家商店を移し或は支店を設け

交易の諸人雑踏して ますます繁旅を極めたり

此書や両港の商売工業のすぐれたるを もらさず記し

商家取引の便利をはかり また 遊覧のために名所旧跡の図を加え

旅中船中持ち遊ぶものとしても 至極軽便にして両益の書なり

誘地へ路を入る人達は 必ず携えたまうべしと 

編者に代わって一言を記す次第なり    

明治十有五年十月 竹陰居主人

 

◆奥付  同書は明治十五年一月十九日御届、同十一月出版」「定価拾五銭」「編輯出版人 大阪北区曽根嵜新地1丁目垣貫與祐、賣捌人 兵庫県下神戸相生町東詰 熊谷久榮堂、大阪府下高麗橋2丁目 熊谷久榮堂」である。定価25銭は、明治15年の理髪料金(8銭)の3倍強であり、現在の価格では約1万円となる。

◆掲載企業  同書には合計574の事業者が紹介されている。「神戸区東部・港川以東」は265企業、「神戸区西部・港川以西」は309企業である。

事業者の紹介スペースはそれぞれ均一ではなく、商号、事業者名だけの簡素なものと、半ページから1ページのスケッチ付きのものがある。スペースの違いは企業が払う広告料の違いであると考えられる。つまり、同書への掲載は有料だったのである。

◆観光名所  同書には神戸の観光名所13か所がスケッチ入りで掲載されている。「港川以東」には、「海岸通(居留地)、兵庫県庁、神戸停車場、布引滝、生田神社、楠公社」が、「港川以西」には、和田神社、長田神社、清盛塚、和田岬灯台、八幡宮、築嶋寺、新川住吉舎がある。序文にあるとおり、同書は神戸と兵庫の観光ガイドブックも兼ねていたのである。

※くずし字解読は、「西宮古文書を読む会」飯塚修三会長、谷田寿郎氏と神戸新聞社大国正美氏にお世話になった。

 
『豪商 神兵 湊の魁』地域別・業種別事業所内訳(カッコは%)         
  
地区
貿易・金融・海運業
卸小賣業
宿泊飲食業
製造業
その他
  神戸
265
46.2
57
21.5
11543.4
51
19.2
9
3.4
33
12.5
  兵庫
309
53.8
8
2.6
15550.2
19
6.2
18
5.8
109
35.2
574100.0
65
11.3
27047.1
70
12.2
27
4.7
142
12.7

(作成:筆者)




 
 
 
 
 
 
 

2016年1月2日土曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(1)明治15年「神戸兵庫の先端企業名鑑」(『セルポート』160101号) 

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(73
 
『豪商 神兵 湊の魁』(1)明治15年「神戸兵庫の先端企業名鑑」 

◆先端企業名鑑  明治1511月刊行の『豪商 神兵 湊の魁』は、明治10年代前半の神戸と兵庫の商工名鑑である。同書の目的は「商取引」と「遊覧の利便」(序文)であり、「神兵」は神戸と兵庫で「湊」は「開港場神戸」と「兵庫津」である。

同書には574の商店、製造場等が名を連ねている。「神戸区東部・湊川以東」が26546.2%)、「神戸区西部・湊川以西」が30953.8%)である。湊川を境に神戸区東部が神戸、西部が兵庫である。観光名所13か所も掲載されている。

神戸開港から15年が経過した頃の神戸と兵庫の町の盛衰と変貌が、同書から見えてくる。

開港場神戸では、外国人居留地が開港日に間に合わなかったため、居留地を囲い込む形で「雑居地」が設けられた。生田川と宇治川、山麓と海岸に囲まれた雑居地は、外国人と日本人が混住できる地域である。

開港した神戸に国内から人々が移住してきた。神戸では「隣人は外国人」であった。住民は身近な外国人の生活文化を積極的に吸収した。同書には、神戸に定着しつつあった洋食、写真、西洋小物、洋服、コーヒー、パン・ビール、靴等の洋風生活文化を扱う店舗、事業所と、三菱汽船向けの荷物取扱業、外国商館相手の茶貿易商等が紹介されている。

一方、兵庫には伝統ある米商会所、穀物仲買仲間、肥料問屋、造船所等が立地していた。
 明治10年ごろまでは兵庫の経済力が神戸を上回っていたけれども、その後、開港場神戸の発展につれ兵庫と神戸の地位は逆転していった。兵庫の住民は新興神戸の発展を苦々しく見ていた。

◆同書の体裁  神戸史学会が昭和5071日に250部限定で発行した「復刻版」は、縦7.6cm×横18cmの和装紐綴で、ほぼ「郵便ハガキ」サイズである。

574事業者それぞれの紹介スペースは均一ではない。商号、事業者名だけの簡素なものと、半ページから1ページのスケッチ付きのものがある。スペースの違いは企業が払う広告料の違いであると考えられる。同書への掲載は有料であったのである。

同書の定価25銭は、明治15年の理髪料金(8銭)の3倍強であるので、現在の価格では約1万円となる。

 奥付には明治十五年一月十九日御届」「同十一月出版」「定価拾五銭」、「編輯出版人 大阪北区曽根嵜新地1丁目の垣貫與祐、「賣捌人 兵庫県下神戸相生町東詰 熊谷久榮堂、大阪府下高麗橋2丁目 熊谷久榮堂」とある。

◆『神戸開港三十年史』  明治中期までの神戸は、『神戸開港三十年史 乾坤』(村田誠治、明治31年)が詳しい。『湊の魁』は事業所のスケッチ入りであるので、『三十年史」と合わせて読むと、当時の神戸と兵庫の姿が生き生きとよみがえってくる。筆者は『近代日本総合年表』と『神戸市史 年表』を縦軸とし、上掲2史料と『折田年秀日記』(3巻)及び当時の新聞記事(和文、英文)を横軸として、明治期の神戸と兵庫に思いを馳せている。