2016年3月5日土曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(6)~海運業の芽生え:加納宗三郎~(『セルポート』2016.3.1号)

神戸今昔物語(第535号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(78

『豪商 神兵 湊の魁』(6)~海運業の芽生え:加納宗三郎~

◆海運業の芽生え  『豪商 神兵 湊の魁』(明治15年)から、開港から10年余が経過した神戸が、海運の拠点となりつつあったことがわかる。幕末、北前船の拠点として栄えていた兵庫津に代わり、開港場神戸の海運が発展していく。

「魁」所載の神戸区の海運事業者は21社(神戸17、兵庫2)である。

 神戸19社の事業者は次のとおりである。

・元町通(6社):1丁目「滊船乗客荷物取扱所 松本重兵衛」、2丁目「同 千むよし」、3丁目「同 宮崎伊之助」、5丁目「同 松井とよ」「同 山中常次郎」、6丁目「同 寶井文治郎」。

・栄町(5社):4丁目「汽船偕行會社」「滊船乗客荷物取扱所 池田ます」「同 重田まさ」「同 藤本佐助」「同 山中常蔵。」

・海岸通(6社):4丁目「三菱會社乗客荷物取扱所 加納宗三郎」「同 本家丸嘉 安藤嘉左ヱ門」「汽船 神港社」「滊船乗客荷物取扱所 村上萬吉」「同 山中常造」、5丁目「三菱汽船荷物乗客取扱所 山田辰五郎」。

・多聞通(1社):5丁目「滊船乗客荷物取扱所 山中常次郎」。

兵庫には神明町「三菱會社荷物取次所 高見善兵衛」、宮内町「滊船乗客荷物取扱所 筏まち」の2社がある。

◆加納宗三郎  明治131028日、「神戸区海岸通四丁目六番屋敷 加納宗三郎」が、神戸区長村野山人に「旅籠開業鑑札願」を出願し認められた。

海岸通4丁目の「三菱會社乗客荷物取扱所 加納宗三郎」は、豪壮な4階建で、1階は事務所、24階は旅館である。当時、回漕店は船宿を兼ねることが多かった。建物にの旗が翻えり、「郵便滊船取扱所」、「東京丸」「名古屋丸」「廣島丸」「玄海丸」の看板が見える。

◆加納宗七  加納宗三郎は加納宗七の三男である。宗七は生田川付替(明治4年)と、旧生田川河川敷の市街地造成事業で神戸に大きな足跡を残した。加納町は宗七の功績を称えてつけられた町名である。

宗七は、旧生田川尻に、私費で避難港「小野浜船溜」(水面面積18ha)を建設した。「加納湾」と呼ばれるこの避難港は、明治17年に海軍省に買収され、大正5年に埋め立てられて臨港鉄道神戸港貨物駅になり、阪神淡路大震災後は震災記念公園になっている。

◆天満屋騒動  宗七は40歳のとき神戸に来て60歳で生涯を閉じた。墓は追谷墓地にある。

もともと、宗七は和歌山藩御用達の材木商人で、同郷の陸奥宗光と親交があり、陸奥を通じて勝海舟、坂本龍馬らの知遇を得た。

慶応3127日、陸奥宗光ら16人の海援隊、陸援隊士が、京都の旅籠天満屋にいた三浦休太郎を、坂本竜馬殺害犯人として襲撃した(「天満屋騒動」)。襲撃者の中に宗七もいた。坂本龍馬はこの襲撃の20日前の慶應31115日に、京都近江屋で何者かに暗殺されている。

天満屋騒動が起きた日は奇しくも神戸開港日である。

事件後、宗七は神戸逃れてきて、西之町(現海岸通)で材木問屋、回送業、船宿を経営した。
 


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