2013年6月12日水曜日

改正条約施行 「内地雑居」 文化と文明 ニコライ皇太子湊川神社参拝


『セルポート』2013611日号(連載通算第445号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁(9) 「クリヤ礼拝せぬか」

◆内地雑居  改正条約が発効して内地雑居が実現すれば、外国人も、日本人と同様に、どこにでも居住し、どこへでも自由にも行くことができることになる。内地雑居で外国人と日本人の接触機会が増え、文化摩擦が発生することは避けられない。

カットの「クリヤ礼拝せぬか 貴君(あなた)圧政あり舛」は、神社で、神主が外国人に神社参拝の礼儀を強引に教えているところである。帽子を脱がずに、靴をはいたまま昇壇した外国人が、神主に首根っこを押さられて、神を敬い礼拝せよ、と注意され、「圧政だ」と抗議している。

幕末、横浜郊外で発生した生麦事件(1862年)も、開港直後の神戸で偶発した神戸事件(1868年)も、日本の文化、習慣についての知識がなかった外国人が、武士の隊列と遭遇した際に起こした不幸な事件である。

◆文化と文明  長い鎖国を解いた日本は、西欧の文明国に追いつこうと必死に努力した。井上薫外務卿は、日本が文明国であることを外国側に認めさせなければ、外国は不平等条約改正に応じてくれないとして、鹿鳴館外交を展開した。当時の日本人の価値観では、鹿鳴館でダンスすることには違和感がある。井上の涙ぐましい努力は、文化と文明を混同しているように思えてならない。

文化と文明の違いは何か。文化とは、民族や社会の風習、伝統、思考方法、価値観などの総称であり、世代を通じて伝承されていくものである。辞書には、「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)」(『新明解国語辞典』)とある。

辞書では、文明についての記述は極めて長い。要約すると、文明は、野蛮から脱した「人間の技術的・物質的所産」(『広辞苑』)である。文明の対比語は野蛮・無知である。筆者は、「文化は心、文明はモノ(知識・技術・洗練)であると考えている。

◆ニコライ皇太子の湊川神社参拝  明治24年、ロシア帝国ニコライ皇太子が、湊川神社を参拝した際、同行した林董(ただす)兵庫県知事を震撼させる場面があった。

 59日、ロシア帝国ニコライ皇太子は大艦隊を率いて神戸に入港した。皇太子は、お召艦から小型艇に乗り、弁天浜の明治天皇御用邸の裏桟橋から御用邸に入った。

御用邸で、市民が、瓦煎餅、キリンビール等を献上した。その後、皇太子は、人力車40台を連ねて市内視察に出かけた。車列は、御用邸から宇治川沿いに北上し、東へ折れて栄町通を進み、居留地の北側を通って、生田森散策、生田神社参拝、諏訪山金星台から神戸港を展望した、湊川神社に到着した。

正門で湊川神社宮司折田年秀が皇太子を出迎えた。皇太子を奥殿に案内した宮司は、奥殿の階段を先行して昇り、壇上から振り向いて、皇太子に昇殿を促す動作をした。知事は、皇太子が土足のまま昇殿するのではないかと、一瞬肝をつぶした。

階段の下で立ったまま壇上の宮司を見上げていた皇太子は、やがて、その場で帽子を脱ぎ、姿勢を正して奥殿に向かって深々と頭を下げた。
2日後、皇太子は、大津で警備の警官にサーベルで切りつけられ、額に傷を負った。日本中を震撼させた「大津事件」である。

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