2013年3月1日金曜日

湊川神社と日本人の心 「湊川神社物語」(『セルポート』2013.3.1号)

『セルポート』201331日号(連載通算第436号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第104

湊川神社と日本人の心

◆神職の禊(みそぎ)   初対面の人から「湊川神社の神職か」と尋ねられた。質問者はこの連載の読者とのことであった。私が知人にメール添付ファイルで送っているこの連載を、知人がその人に転送していたことが後で判明した。

湊川神社の神職に間違えられることは光栄である。湊川神社では、年数回午前8時から垣田宗彦宮司以下、神職全員が禊をする。冷水を浴びてけがれをとり身体を清浄にして神に祈願するためである。厳寒の217日(祈年祭)、1231日(大みそか)の禊は、想像するだけでも心臓発作を起こしそうになる。

「なんこうさん物語」は、201011日号から連載を開始した。すでに33か月が経過している。湊川神社に関する講演も30回以上行った。湊川神社について書きたいことはまだ山ほどある。けれども、マンネリ化を避けるため、ここで連載はいったん休止し、「神戸今昔物語」に戻ることとする。その上で、近い将来、「なんこうさん物語」第3部を再開したい。

◆皇国史観  湊川神社の連載を始めた時、「皇国史観の象徴を書くのか」と怪訝な顔をする知人もいた。皇国史観とは「国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国の歴史として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた」(『広辞苑』)である。

 第2次大戦中、軍部は戦争遂行のため「国民精神総動員」を図り、湊川神社をその象徴として利用した。神社主祭神である正成の天皇への忠誠心、大敵を撃破する智略と義、悲劇的な最期を軍部が利用したのである。

◆湊川神社と日本人の心  戦後、一部の「進歩的文化人」は、湊川神社と正成を語ることは戦前の体制を賛美することであるとして禁忌してきた。この意見は的を射ていない。湊川神社と正成を利用したのは軍部であり、利用された神社や正成には何の責任もない。国を挙げて戦争をしていた時代である。「進歩的」ともてはやされている某大新聞も、戦時中は戦意高揚と聖戦遂行を積極的に扇動していた。

 進歩的文化人には天皇の戦争責任を追及し、天皇制を否定する人までいた。この考えにも同調できない。天皇は憲法で日本国の象徴、日本国民統合の象徴と規定されており、国民から崇敬されている。大英帝国は女王陛下がおられるからこそ、他の国とは一味違う風格を持つ国なのである。同様に、天皇制を持ち天皇陛下を崇敬する国民がいるからこそ、日本は品格ある国として評価されていることを忘れてはならない。

東日本大震災で被災した日本人が、想像を絶する過酷な環境の中でも、人間としての誇りを失わず、勇気と礼節を持ち続けて助け合ってきた。その姿が海外に報道され、世界中に感動を与えた。マイケル・サンデル博士は、ハリケーン被災時の米国人と、震災地の日本人の態度を対比し、日本人の行動を絶賛している。日本人は、伝統的に、礼節、信義を重んじ、相手を尊重するという美徳を持っており、楠木正成はこの日本人の美徳を体現している。正成を祀る湊川神社を大切にすることは、日本人の魂を守り後世に伝えていくことにつながるのである。

湊川神社神職による禊(2012年12月31日)
 
 

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