2012年11月30日金曜日

神戸近現代史案内 連載14年目(「湊川神社物語」『セルポート』2012.12.1号)


『セルポート』2012121日号(連載通算第428号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第96

連載14年目に(移住坂/居留地百話/神戸今昔物語)

◆連載14年目   この連載は今号で14年目に入る。連載を始めたのは1999121日号である。当時、筆者は現職の公務員であった。公務員は目立ってはいけない。このように新聞に寄稿することは周囲からは歓迎されない。当時のペンネーム「寓籠駆」(グローカル)は、グローバルとローカルの造語に「寓居に籠って世界を駆ける」と漢字をあてたものである。
 
◆「移住坂」   連載の目的は、筆者たちが19997月から開始した市民運動「神戸海外移住者顕彰事業」を広く宣伝することであったので、表題は「移住坂」とした。
当時、神戸市役所内でも、移住者へのステレオタイプの誤解と偏見が根強く残っていた。「移民は暗い。暗い話は神戸のイメージに合わない」「移住者は政府にだまされたと思い祖国を恨んでいる」「身内に移住者がいることを家族は話したがらない」「外国でも移住者が出発したところには記念碑はない」「いまさら寝た子を起こすな」などと真顔で忠告してくれる人もいた。

はたしてそうか。移住者は日本人の世界展開のパイオニアである。神戸は移住者が最期に過ごした日本の町である。移住者は神戸から希望に燃えて世界へ旅立っていった。この神戸で移住者の功績を後世に伝えることを移住者は喜んでくれるに違いない。こう考えて市民運動を提唱した。

運動を積極的に支援してくれる人が続々と現れた。「捨てる神あれば拾う神あり」である。佐藤国汽船の佐藤国吉会長は「移民収容所の近くで生まれ育った私にとり移住者は身近な存在だった。神戸としてもっと早くこの運動をするべきだった」と語って下さった。移住者の姿と現地で彼らを待ち受けていた苦難に思いを馳せた会長の目から大粒の涙が流れた。

セルポートの岸田芳彦社長が趣旨に賛同し紙面を快く提供して下さった。岸田社長に心から感謝している。

◆「移住坂」  運動を始めると海外日系人から大きな反響があった。シンボル事業のメリケンパーク「移民船乗船記念碑」建立に、内外から約2650万円以上もの寄附が集まった。2001428日午後555分、記念碑の除幕式を行った。第1回ブラジル移民船・笠戸丸が明治41年に神戸を出港した日の時刻に合わせたのである。記念碑像は、彫刻家菊川晋久氏の作品である。

20096月、国立神戸移民収容所(昭和3年開業)は「神戸市立海外移住と文化の交流施設」として生まれ変わった。山手のこの施設から浜手の記念碑へ下る「移住坂」は、かつて移住者が徒歩で移民船へ向った坂道である。神戸の新たな観光スポットとなった移住施設を訪ねる観光客、日系人も多い。

◆「居留地百話」「神戸今昔物語」  「移住坂」連載は1年で終了した。続いて「居留地百話」を100回連載した。200411日号から「神戸今昔物語」として神戸の近現代史を紹介している。「なんこうさん物語」は「神戸今昔物語」の1章である。
 資料集めで、神戸市立中央図書館、神戸市文書館の皆様にいつも大変お世話になり感謝している。この場を借りて厚くお礼を申し上げる。

カット:「神戸海外移住者顕彰事業」のパンフレット(1999年)

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