2015年11月14日土曜日

「ええじゃないか(続)」(『セルポート』151111号)


開港150年へのカウントダウン(8) 「ええじゃないか(続)」

 
◆神符降下  県内のええじゃないかをもっと知りたい、とのメールを読者からいただいた。

慶応311月から翌年4月頃まで、現兵庫県域内において、神符が降下し人々がええじゃないかと乱舞した(『兵庫県史 史料篇 幕末維新』)。

「西宮に御札降下し、町中乱舞」

「摂津川辺郡一橋領西村村々へ御札降下」

「川辺郡鳥島村に御札降下、村中総踊り、御伴・酒肴振舞の書上」

「伊丹町に御札降下し、踊り大流行」「川辺郡多田院村に御札降下し、村中乱舞」

「有馬郡南部の村々から三田町へかけて御札降下し、踊り波及」

「有馬郡から美嚢郡南部にかけて再び御札降下し、踊りが再燃」

「兵庫柳原に御札降下し、踊り始まる」

「兵庫切戸町・魚棚町・新町などでも踊り流行」

「明石の町にも踊り波及」

「淡路津名・三原両郡の村々に御札降下し、おのころ島神社への踊込参りが盛行」

「明石藩領加古郡二見で踊り盛行、隣接の姫路藩、踊りの波及を恐れて制圧したため、加古郡に御札の降下あるも踊り見られず」

「播磨加西郡に踊り波及し、昼夜なく踊り騒ぐ」

「播磨多可郡高田井村に御札降下し、酒食の饗応を行う」

「播磨多可郡船町村では踊り流行により節季勘定も正月晦日に延期される」

「幕府領但馬生野町に御札降下し、踊り流行」「幕府領丹後久美浜において御札降下し、領民の踊りが盛行したが、大坂落城の報により鎮静す」

「但馬豊岡町に御札降下し、踊り盛行、取締により鎮静す」

「但馬養父郡八鹿周辺に御札降下し、踊り流行」

「播磨宍粟郡山崎町に御札降下し、踊り波及するにより制止す」

「播磨宍粟郡高下村に御札降下し、代官、踊りを禁止す」

◆西宮  当時15歳だった西宮神社吉井良秀宮司は、慶応311月から翌年正月にかけて西宮で起きた騒乱を懐古している(『老の思ひ出』)。

「神様の御札が空から降りだした、伊勢の御札が多くて、牛頭天王や釈迦ケ嶽や種々の物で広く諸国にも拡まった、此地方では、秋から冬に掛けて至って盛んで、毎日此処や、彼所に、五軒や、八軒、降った。御札のみならず小判や二分金や銭や銀札が降った」。

 「降った家では悦んで俄かに、神棚を店や玄関の人目に近い所に拵えて祭ると、親戚や知己や近所から御祝に鏡餅や菓子肴種々な物を供へに来る、そうして親戚知己が踊りに来る、男も女も仮装する、派手な襦袢を着て一団を成して手に手に采配やうの物を以って、先一番に神社に出かける、知人の家々へ踊りに廻る。甲の家も乙の家も同様で毎日々々商売を休んで、市中は躍りで騒ぎ立てた」(原文のまま)。

◆終息  神符降下は、勤皇志士が行動を隠蔽するために起こした騒乱とする説が有力である。神符降下の間に、大政奉還、神戸開港大坂開市、戊辰戦争、王政復古、神戸事件、堺事件、五箇条御誓文、江戸開城等の歴史的大事件があった。
ええじゃないかは慶応44月にほぼ終息し、6月の備中里之中を最後に完全に終息した(外川淳『幕末維新』)。

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