「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(30)
神戸ホーム創立(明治8年)(3)
◆女性宣教師 明治6年3月31日、米国人女性宣教師E.タルカットとJ.E.ダッドレーが神戸に到着した。切支丹禁教の高札を2月24日に撤去されていた。
明治8年10月、2人は、山本通に神戸ホームを創設した。後の神戸女学院である。
2人の来神に先立ち、神戸では、アメリカン・ボードから派遣されたD.C.グリーン(明治2年11月来日、横浜を経て明治3年来神)とJ.D.デイヴィス(明治4年10月来神)、医師のJ.C.ベリー(明治5年4月来神)が、布教活動をしていた。
デイヴィス夫妻は、明治5年頃から三田方面で伝道を始めていて、旧三田藩主九鬼隆義と夫人、家族達と親しくなっていた。明治5年夏、避暑のため有馬にいた夫妻を夫人が子供を連れて訪ねてきたこともあった。
◆私塾設立 2人の女性宣教師は、日本人が前年に設立した英語学校の教務補助から活動を開始した。当時、女子教育は不要と考えられていた。生徒は、九鬼と旧三田藩士の子弟たちであった。
明治6年10月、2人は神戸花隈村の前田兵蔵の家を借り、三田の男女10数人に英語と唱歌を教え始めた。生徒は徐々に増え、明治7年4月には北長狭通の白洲退蔵の持家を借り受けて、数名の女学生を集めて私塾で英語教育を始めた。白洲退蔵は三田藩の儒学者で白洲次郎の祖父である。
◆折田年秀宮司 明治6年5月、湊川神社に折田年秀宮司が赴任した。折田は、教部省から教導職に任命されていた。職務に忠実な折田は、グリーン、デイヴィス等の布教活動を熱心に監視し、明治7年1月、詳細な報告書を教部省に送った。
◆神戸ホーム 明治7年5月、在日伝道団は、総会で「主たる伝道地に寄宿舎制女学校の設立と学校管理に適した女性宣教師の派遣」を本国のアメリカン・ボードに訴えることを決議した。開港場神戸は重要な伝道地であった。グリーンは、「2人の女性宣教師が始めた北長狭通の学校が、伝道上も効果をあげている」と報告した。
神戸のアメリカ人宣教師達は、寄宿学校に適した借家を探した。適当な物件は見当たらなかったため、寄宿舎を新築することとなった。建設費6000ドルは、本国の伝道会からの寄附5,200ドルと、日本人信者の寄附800円(1ドル=1円)でまかなった。日本人の寄付者は、九鬼と旧三田藩士の白洲退蔵、前田泰一、鈴木清らであった。九鬼とその部下たちは、開港後神戸に来て土地投機で大金を手に入れていた。
明治8年3月、2人は山本通4丁目に6,600㎡の土地を購入し、建物建築を開始した。10月、木造2階建て500㎡の洋館が完成した。10月12日、神戸ホームが開校した。この日が神戸女学院の創立記念日となっている。
明治9年、若い女性宣教師V.O.クラークソンが着任した。クラークソンとタルカットは教育方針をめぐり衝突することがあった。
明治10年1月、教部省が廃止され、キリスト教布教活動への監視は終了した。
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