「湊川神社神戸創建の系譜~楠木正成を祀る神社はなぜ神戸に創建されたか~」を発表しました。
掲載誌『神戸外国人居留地研究会年報・居留地の窓から』(第8号、2013.4.20)は、神戸市内図書館、神戸市文書館でご覧いただけます。また、市内主要書店でもお求めいただけます。(要旨)
1. 楠木正成を主祭神とする湊川神社は、明治5年、神戸に創建された。神戸市民は湊川神社を「なんこうさん」と親しく呼び、誇りに思っている。
2. 実は、朝廷は、維新直前に、「正成を祀る神社の京都創建」を内定していた。慶応3年11月11日(1867年12月6日)、尾張藩第14代藩主徳川慶勝(藩主徳川義宣の父)が「正成を祀る神社の京都創建」を朝廷に請願し、朝廷はそれを承認し、慶勝に通知していた。
3. その直後、「王政復古の大号令」が出され、それに続く政権交代の大混乱で、政府、朝廷は、内戦への対応で手いっぱいであり、神社創建案件はそのままになっていた。
4. 「王政復古の大号令」の約3か月後、兵庫裁判所(兵庫県の前身)役人が東久世通禧を通じて朝廷に嘆願した神社の「神戸創建」が認められた。
5. これに先立ち、東久世は、神戸で偶発した備前藩兵と外国軍隊の衝突事件(「神戸事件」)を、勅使として6か国公使と協議し処理した。東久世は、新政府の「外交上の危機」を救うという大手柄を立てた。事件処理後、兵庫裁判所総督に就任した東久世は、部下の役人たちの嘆願を、政府、朝廷に認めさせた。
6. もし、神戸事件が偶発していなければ、湊川神社は京都に創建されていた可能性が極めて高い。
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