『セルポート』2013年4月1日号(連載通算第439号)「神戸今昔物語」
内地雑居の暁 「老爺の晩学 倅は先生」
◆「内地雑居未来の夢」 明治19(1886)年4月、坪内逍遥は、近未来小説「内地雑居 未来の夢」を発表した。ペンネームは「春のや主人」である。
この年5月1日、井上薫外相は外務省に各国公使を招き、「第一回条約改正会議」を開催して、正式に条約改正案を提出した。鹿鳴館外交が華やかに展開されていた。
小説は、改正条約が発効して内地雑居が実現した後の市民社会を描いたもので、苦学して海外留学した男が、日本でビジネスを興す夢を持って帰国するが、周囲が足を引っ張ろうとしたため、男の友人で作家志望と政治家志望の2人が助けようとする、という話である。
付言で、坪内は、「此物語の筋は、条約改正後の事なり。内地雑居もすでにゆるされ、国会も巳に開けたる体なり。萬般の筋すべて作者の空中楼台なり。政府のおぼしめしを推測したるにもあらず。作者の願望をうつしたるにもあらず」(旧漢字は新漢字に改めた)とし、「本書はもと純粋の小説とは異なり、能ベル(novel)といはむよりは、寧ろ亜ルレゴリイ(allegory寓意小説)ともいふべきものなり」と断っている。辞書にはAllegoryは、「(教訓的な)たとえ話」とある。「完全なる条約改正を写さむとして、わざと不十分に作りなしたるは、多少思う所あるが故なり」としている。
◆坪内逍遥が予測した内地雑居 坪内は、同書の緒言で「要するに雑居の結果は、善とも悪しとも確言し難し。其の善悪いづれなるやは、本文多少の物語に徴して、読人御勝手に判断あるべし」として、雑居の結果、世の中は良くも悪くもならないと結論付けている。
「さらに統括めていふときには、内地雑居後は社会の有様、どうやら何事もシャボン臭くなりぬ。智識の進むことは魂消げるほどにて、徳義はなかなかに追つきかね、旧弊は我を折ていでてもきたらず。警察は行届きて道に遺たる拾ふものなく、窓の硝子張はますます
流行て、夜も大方は雨戸を鎖さず。珈琲を飲過てか老幼腹鼓をうち、ジン(酒の名)に酔ひたるにや男女太平楽をならぶ。国土豊かに民静なる、内地雑居の幕あきこそ、まことに芽出たしといはざるべけんや」と、楽観的な見通しを披露している。
◆「老爺の晩学 倅は先生」 カットは、父親に子どもが何事かを教えている姿である。内地雑居が実現すれば、「隣人は外国人」となる。初めて外国人と混住することになる庶民にとり、言葉が通じない外国人は不気味な存在である。文化摩擦も心配である。長年、自分たちの流儀で生きてきた高齢者は、これから外国人とどう接すべきかを学ばなければならない。頑固親父が、威厳をすてて、環境適用への柔軟性がある子どもにこれからの生き方を教えてもらっているのであろう。孫にスマホの扱い方を教えてもらう筆者の姿と同じである。
「親父の晩学 倅は先生」(「神戸又新日報」明治30年2月26日)
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