『豪商神兵 港の魁』(38)諏訪山 金星台のネーミング
◆金星台 明治7年5月11日、神戸京都間の鉄道が開通した。12月9日、フランス観測隊が金星の太陽面通過を諏訪山で観測した。その場所は現在、金星台と呼ばれ、金星観測記念碑がある。記念碑にフランス観測隊隊長ピエール・ジャンセン(Pierre J. C. Janssen)、ド・ラクロア(De Lacroix)とともに名前が刻まれている清水誠は日本のマッチ工業の創始者である。実は、フランス隊の隊長ジャンセンは、7日は本隊を置いていた長崎にいた。神戸で金星を観測したのはドラクロワと清水である。
明治36年、神戸市は大阪で開催された内国勧業博覧会に協賛して標高180㍍の場所を切り開いて展望台とした。
◆ネーミング 金星の太陽面通過は非常に珍しい天文現象である。当時の金星太陽面通過観測の学術的意味は、地球から太陽までの距離が計算できることであった。アメリカ、フランス、メキシコは日本に観測隊を送り込んだ。前年に米国駐日公使から金星観測の依頼文書を受け取った明治政府は外国側の意図がわからず困惑したという。
メキシコ観測隊は横浜、フランス隊は神戸と長崎、アメリカ隊は長崎でそれぞれ観測した。
このとき、観測した場所を金星台と名付けているのは神戸だけである。このネーミングは素晴らしい。金星台と名付けることによって、この場所で金星を観測したことが永遠に後世の人たちに伝わるからである。
1982年、諏訪山にビーナスブリッジが作られた。この橋の名も金星台から来ている。もし、金星台と名付けられていなかったらビーナスブリッジの愛称もない。ビーナス(Venus)とは「春、開花、花園の女神、金星、美女」である。金星台と山頂の展望台を結ぶ全長約90メートルのこのループ橋は、いかにも神戸らしい夜景眺望スポットである。
◆ポートアイランド 神戸の先人たちのネーミングは秀逸である。
昭和39年5月22日号の神戸新聞に「神戸に全国初の自由港区を 600億円でポートアイランド建設 原口市長が新構想」の見出しの記事がある。神戸港の防波堤沖に人工島を建設し自由港区にするという構想である。
当時、全国で海面埋め立てが進められていた。.埋立地の名称は判で押したように「××工区」「××地先」「××無番地」であり、製造業、物流基地、下水処理場、清掃工場等が立地していた。埋立地は、とても一般市民が近づける場所ではなかった。神戸ではポートアイランドという名前を付けたことが、この海上都市の性格を決定づけた。住み働き憩うという都市の機能が海上都市に導入されたのである。ポートアイランド我が国における海上都市の新局面を開いたことは間違いない。
企業が新製品を発売するときにこだわるのはネーミングである。行政関係者も先人たちのネーミングをぜひ見習ってほしい。
諏訪山における観測風景
出典:斎藤秀樹「天文史跡巡り」『天文教育』2014年3月号
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