「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(82)
『豪商 神兵 湊の魁』(10)~開港効果(1)~
『神戸開港三十年史』は、明治6~7年から18~9年までの神戸と兵庫を次のように書いている。
神戸の「新住民」は、「故郷を棄てて新運命を求め」「冒険も恐れず、労苦も辞せざる気力ある者」であり、「眼中には自己あるのみ」「胸中には利己あるのみ」「欲望には銭あるのみ、名誉の如きは問うところにあらず」「燃ゆるが如き貨殖の希望を存す」人たちであった。
西摂随一の商業地の兵庫は目に見える変化は殆どなかった。兵庫の住民は「土着民を以って成り」「依然たる旧職業」「旧社会の旧古格」を守り、「世の風潮に感動するは比較的に遅鈍なりし」であった。兵庫だけに限らず、日本のほとんどの都市は、時代の変化にゆっくりと対応しつつあった。
◆国際都市の予感 開港場神戸と兵庫の違いは「魁」からはっきりと読み取ることができる。神戸では、洋風の生活文化が芽生え、後の「国際都市」神戸を予感させる海運関連業と貿易関連業が定着しつつあった。
◆貿易・金融業 「魁」所載の貿易業、金融業からも兵庫と神戸の違いは一目瞭然である。
神戸には、元町、栄町、海岸通に貿易業が24件、金融業が9件立地していたが、兵庫には貿易業はなく、伝統的な地場業種対象の金融業が4件あっただけである。
元町通は、1丁目に貿易茶商 阪口眞助、両替洋銀売買所
森田常助、3丁目に珍器貿易商、神戸石炭商社、丸三銀行があり、丸越組海外直売店(丁名不明)がある。
栄町通は、3丁目に神戸商義社、神戸石炭商社、貿易商
篠原幸四郎、貿易商 光村弥兵衛、金融業は正金銀行支店、三十八国立銀行、三井銀行支店、七十三国立銀行支店、洋銀売買所 堀儀助、洋銀売買所 荒木、5丁目に医学西洋幷ニキカイ所 志摩三商会、貿易茶 商石本喜兵衛、貿易茶商 川口清次、6丁目に貿易茶商
池田貫兵衛がある。
海岸通は、2丁目に貿易茶商 八田長兵衛、3丁目に五十八国立銀行と貿易会所、廣業商会、貿易茶商 岸善一、貿易商 美吉谷長八があり、4丁目に貿易茶商
田村正平、貿易茶商 山本亀太郎、6丁目に貿易茶商 小島長四郎と製茶改良會社がある。
三宮町には貿易商 大橋正太良、貿易商 大橋正太郎(英文広告)、下山手通6丁目に貿易茶商 高城喜三右衛門が立地している。
一方、兵庫では、貿易業はない。金融業は、川崎町に私立平瀬支店、島上町に六十五国立銀行、戸場町に七十三国立銀行、磯の川に三井支店が立地していた。
「魁」を上掲の「三十年史」等の史料と併せ読むことによって、当時の神戸の様子が生き生きと伝わってくる。
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