2015年12月13日日曜日

「国際都市神戸の復権をめざして」(『セルポート』151211号)

 神戸今昔物語(第528号)湊川神社物語(第2部)
「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(71
 
開港150年へのカウントダウンの意義~国際都市神戸の復権をめざして
 
◆市民力  1999121日に開始したこの連載は17年目に入った。当初の目的は、当時筆者たちが推進していた市民運動「神戸海外移住者顕彰事業」の宣伝であった。海外日系人が運動に共鳴した。内外からの募金でメリケンパークに海外移住者像を建立した。旧移民収容所(昭和3年)を神戸市が整備し残してくれた。両施設を結ぶ「移住坂」は世界への坂道を歩く観光客も多い。海外移住施設が新たな集客施設に生まれ変わった。

◆国際都市神戸  神戸は1868年に開港し、各国は領事館を開設し貿易商が商館を開いた。かつての神戸は我が国を代表する国際都市であった。

2次大戦後も神戸は国際都市の風格を有していた。各国は領事館を再開し、外資系企業も多く外国人住民も多かった。神戸港は世界3位のコンテナ港であった。

神戸の国際都市機能の低下に拍車をかけたのは、関西新空港が泉南沖になったことである。阪神淡路大震災がとどめを刺した。領事館は市外に流出し神戸港も国際物流の本流から外れた。

神戸はもはや国際都市とはいえない。「国際の冠」がない神戸はただの地方県庁所在都市にすぎない。

◆国際都市レガシー(遺産)とレジェント(神話)  都市間競争時代、企業誘致、観光客誘致に他都市との差別化戦略が必要となる。神戸には開港以来の外国人居留地、異人館、南京町、外国人学校、病院、宗教施設、外国倶楽部、国際港湾等のハードと、国際都市イメージ、洗練されたライフスタイルがある。これらのハード、ソフトを活用すれば新たな国際都市アイデンティティの創出が可能になる。

神戸を支えてきた造船、機械、食品等の産業に加え、先端医療産業、集客産業(観光客、MICE、クルーズ船誘致等)、生活文化産業等を重視したい「神戸ブランド」も定着させたい。国際空港も必要である。

1973年、神戸市はファッション都市宣言をし、アパレル、ケミカルシューズ、真珠、スイーツ、パン、コーヒー等をファッション産業として神戸の重要産業と位置付けた。19778年、NHK連続朝ドラマ「風見鶏」で神戸のパンと異人館が有名になった。ポートピア博覧会で神戸の都市イメージが飛躍的に向上した。博覧会では財閥系企業や超有名企業と並んで、地元企業もパビリオン出展した。ある企業関係者は「それまで財閥系企業と同じ土俵に上がる機会はなかった。ポートピア博のおかげで、当社も全国ブランドになった」と回顧した。

◆パン博物館  昨年末、学際的学会「日本パン学会」を立ち上げた。目的は「パン文化創造深化とパンをテーマとした地域創生」である。開港150年記念事業として「パン博物館」を提案したい。神戸市はこれまで遊休施設となっていた旧移民収容所や波止場町の上屋を市民団体に提供し市民活力で施設を再生させてきた。ハーバーランドの煉瓦倉庫を提供してもらえればあとは民間の出番である。パン博物館を神戸の新たな集客施設にしたい。

 

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