神戸開港・大阪開市
◆残日計 神戸開港以来の出来事を、湊川神社宮司折田年秀の日記と絡めて時系列で紹介している。明治10年の西南戦争まで概観してきた。ここで、少し寄り道して、開港までのいきさつを、あらためて紹介することすることにする。8月末から、開港150年祭のカウントダウンが始まったからである。
神戸は慶応3年12月7日(1868年1月1日)に開港した。大坂もこの日開市した。
今年8月20日、開港150年の節目の日まで500日となったことを記念して、JR三ノ宮駅南ターミナルに設置された「残日計」の除幕式が行われた。
それにしても「残日計」という用語は、いかにも即物的すぎて、病院用語のような印象を与える。高齢者や重病人には、耳にしたくないことを予感させるニュアンスを持つ言葉である。残日計の愛称を市民から公募すればどうだろうか。
◆神戸の都市魅力 神戸は「住みたいまち、訪れたいまち」として人気がある。この魅力は147年前の開港に起因する。神戸の都市魅力は、雇用、娯楽、文化等、大都市としての充実した都市機能と、山と海が近く自然環境に恵まれていて、街には開港以来の歴史を伝える施設が根付き、外国人との交流で醸成された国際性豊かな文化とおしゃれで上品な雰囲気等である。もし神戸が開港していなければ、神戸は瀬戸内海によくある平凡な湊町にすぎなかったことであろう。神戸の都市魅力の原点が、開港にあることはまちがいない。
◆安政五か国条約 安政5(1858)年6月19日、日米修好通商条約が締結された。幕府は、続いて、蘭、露、英、仏と同内容の条約を締結し、日本が本格的に開国することになった。開国で外国との貿易が始まり、外国人が国内に住みつくことになる。条約で規定された開港場は、神戸、横浜、長崎、箱舘、新潟であり、開市場は江戸と大坂である。大坂は、開市の半年後に開港場に切り替えられた。開港場、開市場には外国人居留地が建設された。
◆開港と開市のちがい 開港、開市戸は何か。開港と開市は、条約上、どこが違うのか。
違いの第1は、開港場には.外国船が貿易のために入港できるが、開市場には入港できないことである。大坂にも外国人居留地が開設されたが、大坂には外国船が貿易のため入港するは認められなかったので、大坂居留地の外国人が輸出入する場合、通関等の貿易手続きはすべて神戸で行なわれた。
第2は、開港場、開市場の外国人居留地に居住する外国人の資格である。条約では、外国人は、開港場では「居留」(permanent residence)でき、開市場では「逗留」(residence)できると規定された。開市場では、外国人は「只商売を為す間にのみ逗留する事を得へし」と規定されていた。商売をする間だけ逗留できるという取り決めである。
安政五か国条約で開港場となったことが、神戸の都市イメージを国際都市と方向づけた。
開港場・開市場と開港・開市年
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開港場
開市場
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条約上の
開港開市年
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実際の
開港開市年
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開港
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横浜
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1859
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1859
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長崎
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1859
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1859
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函館
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1859
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1859
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新潟
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1860
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1868
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神戸
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1863
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1868
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開市
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江戸
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1862
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1868
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大阪
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1863
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