前島密設計の神戸郵便局庁舎完成(明治8年)
◆神戸郵便局新局舎 明治8年1月1日、「神戸郵便役所」は「神戸郵便局」と改称された。5月、栄町6丁目に新局舎が完成した。当時は洋館が珍しかったので、地方から弁当を持って見学に来る人も多かった。
局舎は「日本郵便の父」前島密が設計した。前島は、兵庫奉行柴田剛中の補佐役として、神戸開港準備、居留地建設等に従事した。明治2年12月、前島は民部省九等出仕を拝命し、翌明治3年5月、租税権正兼駅逓権正(駅逓司長官)となり、郵便制度の近代化に着手することになる。
「郵便局の建築図案などは、誰一人知っている者がないので、私が自身図案者ともなり、監督者ともなって、そのため長崎まで奔走した」と前島は当時を懐古し、明治10年1月、神戸郵便局が明治天皇行在所となったとき「私は無上の光栄だと感じた」(『郵便創業談』)。
◆明治天皇2度目の神戸行幸 明治10年1月、天皇が「大和国並京都」に行幸された。当初予定は、1月24日にお召艦高尾丸で横浜を出航し、神戸に26日に到着し、行在所神戸郵便局に宿泊されこととなっていた。
高尾丸は予定どおり横浜を出航した。途中、波浪のため、予定を変更し、天皇は、三重県鳥羽に上陸して常安寺に宿泊された。
27日、高尾丸は鳥羽を出航し28日午前7時に神戸に到着した。停泊中の艦船から一斉に祝砲が発せられた。天皇は端船に乗り移り、三番波止場から上陸し、神戸郵便局へ騎馬で向われた。沿道には小学生と大阪鎮台兵が整列して奉迎した。天皇は9時21分、郵便局に到着された。予定が1日遅れたため、神戸郵便局での宿泊は取りやめとなった。
予定変更は関係者を困惑させた。通信手段が未整備であったからである。神戸電信局は明治3年8月に新設されていたが、電話の開通は、明治26年3月25日の神戸電話交換局開設を待たなければならなかった。
神戸郵便局は、局舎が行在所となったため、1月21日から弁天浜の三井組事務所(三井組銀行)に臨時移転し業務を行った。場所は現在のハーバーランドの神戸市産業振興センター東側である。職員一同、局舎が行在所になったことを非常に光栄に思い喜んだ。
◆「折田日記」 「一月廿八日、晴。午前第六時三十分、於湊川尻打掲(揚)ケ三発、追々砲号に付、直に礼服、当社御門前ニて、諸神官教職を指揮シテ、直ニ繰出」。
午前6時30分、湊川尻から、高尾丸到着を知らせる合図信号が打ち上げられた。号砲が続いた。礼服の折田は、湊川神社正門前に待機させていた神官と教導職総勢100余名を引き連れて、県庁との事前打ち合わせどおり、栄町5丁目と6丁目に整列させた。「前面ハ海軍ヲ以テ警衛ス」。神官と教導職は、海軍兵士の後ろで並んで奉迎した。
この日、式部・助丸莞爾が湊川神社に参拝し幣帛を奉納した。
午後2時20分、天皇は騎馬で郵便局を出発し、神戸駅2時27分発の特別列車で京都へ向かわれた。
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