2014年6月10日火曜日

折田の赴任(6)「折田年秀日記」(『セルポート』2014.6.11号)


       神戸今昔物語(通産第478号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(21

折田の湊川神社赴任(6)~明治6年の神戸~

 ◆折田年秀の赴任  明治681日、折田は、午前11時発の汽車で新橋から横浜へ向った。横浜で大阪行きの船に乗り込んだ折田は、3日朝、大阪に到着し、神戸行きの川蒸気に乗り換えて、午後4時、神戸に着いた。湊川神社は前年5月に創建されていた。正式着任日は815日である(湊川神社『大楠公』)。

◆明治6年の神戸  

1月:10日、徴兵令発布(神戸は大阪鎮台管轄に)。

2月:17日、居留地の第4回競売(5区画)。居留地は、第1回(明治元年724日)競売以後、計4回、126区画の永代借地権を競売した。国別落札区画数は、英64、プロシャ23、蘭15、米11、仏11、伊、行事局1である。

  24日、切支丹禁制の高札撤去。キリスト教を黙認。

28日、勤皇の僧・宇都宮黙霖が還俗し湊川神社初代権宮司に(410日まで)。

この月、工部省、川崎浜のツレジング製鉄所を買収し兵庫造船所とする(後、川崎正蔵が払い下げを受け。川崎造船所に)。布引山、花園社に無償払い下げ。

3月:5日、神戸大阪間鉄道試運転(開通は明治73月)。

4月:30日、湊川に木橋「新町橋」架橋。

この月、「元町・海岸間」の道路工事着手(11月完成。「栄町通」の命名は明治7年)。

5月:2日、教部省、折田に「湊川神社宮司兼補大講義」発令。

   5日、折田、東京両国矢の倉に「湊川神社遥拝所」設置を教部省に請願。

この月、貿易五厘金の率を「4厘」に変更。旧生田川敷地整地工事完成、「加納町」と命名。

6月:15日、富岡鉄斎に湊川神社権禰宜発令。鉄斎は74日着任後すぐに帰京(710日、辞表提出、725日、依願免官)。兵庫県令神田孝平が鉄斎を初代宮司に推薦していた。

7月:28日、地租改正条例布告。

この月、「税関前浚渫湾(入堀)」の砂除堤石垣増築、湾内浚渫完成。現京町インター付近にあったこの湾は、昭和40年代に埋め立てられ消滅。後にこの湾の西入口に、「京橋」が架けられた。

 8月:3日、折田宮司神戸着。湊川神社へ入る。

4日、折田宮司、湊川神社で初祝詞奏上。

17日、閣議で参議西郷隆盛の朝鮮派遣内定(発表は、遣欧大使岩倉具視の帰朝後とする)。

 9月:10日、岩倉具視、湊川神社参拝(岩倉は、ゴルテンエン号で9日午後神戸に到着。13日、横浜着)。

22日、湊川神社本殿、付属建物等すべて竣工(費用:22,449189厘)。

10月:15日、閣議で西郷の朝鮮派遣決定。

18日、三条太政大臣急病。20日、岩倉、大臣を代行。

24日、天皇、岩倉の奏議を受け、朝鮮遣使を無期限延期(「征韓論」敗北)。

この月、マーシャル神戸港長が、神戸築港計画を兵庫県に提出。

11月:神田県令、マーシャル港長の築港案を政府に上申。

12月:神戸築港案、政府から不許可通知。

この年、雑居地海岸の石垣築造工事竣工し「海岸通」と命名。米国人宣教師タルコット、ダッドレー、花隈村の私塾で英語教授開始。湊川神社境内の「建屋営業」許可。

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