神戸今昔物語(通産第476号)湊川神社物語(第2部)
「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(19)折田の湊川神社への赴任(4)
◆明治6年8月3日、湊川神社に、初代宮司折田年秀が着任した。神社は、前年の5月25日に、全国からの寄附と地元の勤労奉仕で創建されていた。
開港から5年7か月が経過した神戸は、著しい変貌を遂げつつあった。外国人居留地に各国は領事館を開設し、外国貿易商が商館を構えていた。日本人も国内各地から集まってきた。新来の住民は、外国人相手の商売に挑戦し、身近にいる外国人のライフスタイルを積極的に吸収した。
折田赴任前後の神戸の様子を概観する。
◆明治4年
1月、居留地の柵門撤廃。
2月18日、英国人ジョン・マーシャルが神戸港長に就任。
この月、住民が、湊川から土砂を勤労奉仕で運び、「楠社」(「湊川神社」と命名される前の呼称)の土地を造成。
3月1日、郵便制度発足(東京・大阪間)、郵便切手発売開始。「飛脚」廃止。
6日、生田川付替工事着工(6月9日竣工)。
4月5日、戸籍法制定。
5月1日、楠社が、「湊川・宇治川間の産土神」に定められる。
この月、和田岬灯台初点灯。
6月17日、政府、兵庫県に楠社造営を委託(太政官布告)、「営繕料」3千円を下賜。
7月14日、廃藩置県(3府(東京・大阪・京都)302県成立)。
この月、兵庫県が、米国人ジェネラル・ポール・フランクに貸与していた東遊園地の土地を、1万円を支払って返却させる。明治2年10月、元米国代弁領事フランクが、自らを「外国人総代」と称して、県から土地4,150坪の貸与を受けた。英国副領事は県に、フランクは「外国人を代表していない」として書面で抗議した。県は、フランクに土地返還を求めたが、フランクは、返還に応じなかった。明治3年2月、県は事態を外務省に報告し、外務省は米国公使と協議したが、それでも、フランクは土地返還には応じなかったため、最終的に、県はフランクから土地を買い戻した。
8月8日、神祇官を神祇省に改める(格下げ)。9日、散髪・廃刀の自由を認める太政官布告。
各開港場の税務を、外務省から大蔵省に所管変更。兵庫県、区政実施・戸長設置。
9月、花園社、布引遊園を経営。
10月8日、政府、岩倉具視特命全権大使の欧米派遣を決定(11月12日、横浜出発)。
11月13日、全国の県を改廃、3府72県にする。20日、兵庫県令に神田孝平就任。加納宗七、生田川旧河川敷の整地工事に着手。
工部省が川崎浜製鉄造船所の事業開始。
12月10日、神戸運上所内「郵便仮役所」開設、大阪・神戸間の船便郵便物の受け渡し開始。19日、神戸に郵便箱(ポスト)設置。
この年、元町の松花堂松野庄兵衛が瓦煎餅を売出し神戸の名物になる。兵庫に「米商会所」設置。日本人経営の屠場開設。小野組、諏訪山を購入
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