神戸今昔物語(通産第477号)湊川神社物語(第2部)
「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(20)
折田の湊川神社への赴任(5)~明治5年の神戸~
◆折田年秀宮司着任 湊川神社初代宮司・折田年秀の着任(明治6年8月3日)前後の神戸を概観している。
◆5月21日号で、米国人ジェネラル・ポール・フランクが、東遊園地の土地を兵庫県から借り受け、県からの再三の返還要請を無視して返還に応じず、最終的に、県はフランクに大金を払って土地を取り戻した話を紹介した。元米国陸軍将官フランクは、神戸に来る前、横浜の米国総領事館の「法執行官」(marshal)をしていた。慶応3年11月、フランクは、米国政府から委嘱を受け、神戸に米国仮領事館(現・海岸通1丁目、郵船ビル)を開設し、本務領事官T.S.スチュワルトが7月に着任するまで、神戸で代弁領事を務めた。
◆明治5(1873)年の神戸 この年の神戸における特筆すべき出来事は、湊川神社創建と、明治天皇の初行幸である。
1月:楠社の社殿造営着手。
3月:4日、楠社本殿立柱祭。
4月:「貿易五厘金」徴収事務取扱開始。
5月:1日、「湊川・宇治川の間」を「楠社氏子区域」に制定。
6日、楠社本殿上棟式。
7日、政府、「社号を湊川神社、社格を別格官幣社とする」旨、兵庫県に内示(24日、兵庫県に太政官から公式の達書)。
24日、鎮座祭。勅使四辻公賀、宣命を奉告。
25日、楠公祭、勅使四辻、天皇下賜の幣帛を奉り宣命を奉告。24、25日、兵庫県職員一同、休暇を付与され参拝。
この月、神戸運上所が大蔵省租税寮の直轄になる。
6月:楠木正成の墓所の旧碑堂を撤去し、新たに雨覆いと墓門、木柵設置。敷石改装。
この月、名主、年寄廃止、戸長、副戸長を設置。
7月:6日、明治天皇が九州行幸の帰途、お召艦龍驤で兵庫に到着、現在の中央市場付近に上陸された。天皇は騎馬、伴奉員は徒歩で、行在所となった兵庫県庁(現。神戸裁判所)まで、約2キロを行進した。沿道で住民が出迎えた。
8日、予定されていた湊川神社行幸は荒天のため中止となり侍従堤正誼が祭文奏上。
この月、神戸病院の運営経費を、「貿易五輪金と病院収入」とする旨取り決め
8月:湊川神社造営完成。神官が着任するまでの留守役として、清水誠之進と上山閑が「等外出仕三等」に任じられる。清水は、広厳寺(現・通称「楠寺」)の元住職で、明治元年に楠社造営の動きを知り還俗した。上山は、元楠公墓碑の墓守である。
この月、兵庫・神戸を「第一区神戸」「第二区兵庫」区分け。
花園社、布引山の無償払い下げを出願。
9月:栄町道路実測着手(「栄町」の命名は明治7年)。
10月:阪神間鉄道敷設工事着手。栄町通全線の用地買収完了。
11月:島田重五郎が、西運上所前に桟橋設置。運上所を神戸税関と改称。
12月:3日、太陽暦採用(この日が明治6年1月1日になる)。
この年、兵庫県令神田孝平、米国産馬鈴薯の栽培を勧める。ヘルマン・トロチックが居留地行事局長に就任。「神戸港新聞」創刊。