2013年12月6日金曜日

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(4)「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」(『セルポート』2013.12.1)


神戸今昔物語(通産第461号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(4

 
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

 

◆連載15年目  今年もこの日が来た。師走のことではない。『セルポート」の連載を開始した日である。毎年121日号は、連載経緯を説明することとしている。

平成11121日号から始めたこの連載も、既に14年が経過した。連載を始めた時、神戸はまだ大震災の傷跡が残っていた。当時、現職の公務員であった筆者は、ペンネーム「寓籠駆」(グローカル)で連載を始めた。筆者の意見が役所の公式見解と誤解されることを懸念したからである。本名で連載することとしたのは、役所を定年退職したときからである。

◆「移住坂」  最初の連載タイトルは「移住坂」である。筆者たちが平成117月から開始した市民運動「神戸海外移住者顕彰事業」を宣伝するためである。

海外移住者は日本人の世界展開のパイオニアである。けれども、かつての日本を代表する海外移住基地神戸で、移住者に偏見を持つ人が少なくなかった。「移民は暗い。暗い話は神戸のイメージに合わない」「現地で苦しんだ移民は、政府にだまされたと思い祖国を恨んでいる」「アイルランドには記念碑はないのは、移民が祖国を思い出したくない証拠だ」「家族は身内に移民がいることを話したがらない」「いまさら寝た子を起こすな」等である。

四面楚歌、徒手空拳で始めた市民運動を、『セルポート」の岸田芳彦社長が広報面で全面的に協力して下さった。

運動はブラジルを中心とする海外日系人の共感を呼んだ。世界中からの募金2,650万円を原資として、メリケンパークに「移民船乗船記念碑」を建立し、除幕式を平成13428日午後555分に行った。明治41年のこの日この時刻に第1回ブラジル移民船笠戸丸が神戸を出港した。記念碑像は、彫刻家菊川晋久氏の作品である。

旧「国立移民収容所」は、平成15年に「市立海外移住と文化の交流センター」に生まれ変わった。昭和3年開業以来、多くの移住者を世界に送り出した山手のこの施設から、浜手の移住者記念碑までの急な坂道は「移住坂」と名付けた。

運動を支援して下さった笹山幸俊元神戸市長、佐藤国汽船佐藤国吉会長は、鬼籍に入られた。

◆「居留地百話」「神戸今昔物語」  「移住坂」連載は1年で終了し、平成131月から「居留地百話」、平成161月から「神戸今昔物語」の連載を続けている。連載で、移住者への偏見を払拭することができたこと、弁天浜明治天皇御用邸の全容を紹介できたことが印象に残っている。折田日記の連載では、開港場神戸における湊川神社の意義と役割を新たな視点から紹介していきたいと考えている。

連載にあたり多くの方々にお世話になった。神戸市立中央図書館、神戸市文書館の皆様はいつも快く資料を提供して下さった。『セルポート」岸田社長と、編集担当の浜田善輝様のご協力に感謝している。お世話になった皆様に心からお礼を申し上げる。

       海外日系人大会で運動を報告する筆者(平成12年)
 


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