神戸今昔物語(通産第458号)湊川神社物語(第2部)
「初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(1)
神戸京都間鉄道開業式
◆「折田日記」 今号から新しい連載を始める。
元薩摩藩士で湊川神社初代宮司の折田年秀は、明治6年の就任から明治30年の逝去まで、日々の出来事を克明に記録した日記を残している。折田の宮司時代は神戸の居留地時代とほぼ重なっている。神戸の発展を湊川神社から定点観測した日記は、神戸近代史の貴重な証言である。折田日記から居留地時代の神戸を紹介する。
◆鉄道開業式 明治10年2月5日、神戸京都間の鉄道開業式が、明治天皇臨席のもと行われた。天皇は、午前8時40分に京都御所を出て、七条停車場から列車に乗り梅田停車場に午前10時30分に到着し、開通式典に臨まれた。
式典終了後、天皇は、梅田停車場発11時10分の列車で神戸停車場に12時15分に到着し、停泊中の艦船の祝砲に迎えられた。神戸での式典では、米国ニューウィター領事と兵庫県権県令森岡昌純が祝辞を述べた。
天皇は午後2時神戸初の列車で京都へ向い午後4時に七条停車場に到着した。京都での開業式で鉄道開通の勅語を発し、三条実美太政大臣が祝辞を述べた。
◆開業式見物 折田は夫人同伴で開業式見物に行ったことを日記に書いた(旧漢字は筆者が現代漢字に改めた)。
「二月五日、晴、
一、当日は本所幷(ならび)に大坂西京鉄道開業式御執行ニ付、聖上御臨御、第十二時ヨリ相初リ候事、病中につき家内共拝見ニ差出候事、
一、本日者、兵庫・神戸大ニ賑ヒ、人民親シク奉拝龍顔候、」
「病中につき家内共」とあるのは、折田は1月末から体調を崩していて、一人で外出するには不安があったためである。
◆西南戦争 10日後の2月15日、西郷軍が鹿児島を出発し熊本へ向った。「西郷立つ」の情報に、天皇は予定を変更して、そのまま京都御所に滞在することになった。
政府は神戸弁天浜の専崎弥五平邸に運輸局を設置した。神戸が西南戦争制圧の兵站基地となった。開通したばかりの鉄道で、兵隊と物資が続々と神戸駅に到着し、船で九州の前線へ運ばれていった。神戸駅は神社のすぐ南にある。元薩摩藩士の折田は気が気でなかった。
「二月十五日、晴、
一、昨今より近衛兵幷ニ海軍等、追ゝ繰込ミタリ、大凡四千余人なり、軍艦も同断、入津ニ及候、
一、鹿児島変動之音容、甚騒然タリ、然レトモ確報ならす、」
「二月十七日、晴、
一、当日も海・陸軍、大凡六百人余繰込ミタリ、
一、 大久保内務卿、十六日東京より着神、当日上京なり、(略)」
内務卿大久保利通が東京から神戸経由で京都へ行ったのは、京都にいる天皇に拝謁して反乱への対応について指示を仰ぐためである。19日、政府は「鹿児島暴徒征伐」を布告した。
◆大久保、西郷と折田 このとき、大久保47歳、西郷49歳、折田52歳であった。元薩摩藩士の3人は年齢も近くお互いに気心が知れていた。
西郷はこの年9月24日に城山で自刃し、大久保は翌明治11年5月14日に紀尾井坂で暴漢に襲われて死亡した。折田は明治30年11月5日に72歳の生涯を終えた。
出典:「明治10年 兵庫神戸市街の図」(大蔵省蔵)
湊川神社の南に神戸駅が開業したのは明治7年(神戸大阪間鉄道開通)である。