2013年9月28日土曜日

新条約施行 内地雑居 「掴み合い」 「神戸又新日報」


 
『セルポート』2013921日号(連載通算第454号)「神戸今昔物語」
内地雑居の暁(18) 「○の掴み合い」
 
◆「○の掴み合い」  カットは外国人と日本人の喧嘩である。意思疎通できないことが、掴み合いの原因である。原文タイトルの差別的用語を筆者が「○」とした。
2年後に新条約が発効すれば内地雑居が実現する。外国人も日本国内で自由に住むことができるようになる。
A.C.シムの暴力事件   神戸レガッタ&アスレティック・クラブ(KR&AC)創設者アレキサンダー・シム(A.C.SIM)は、居留地消防隊長をボランティアで務めるかたわら、ボート、フットボールなどのスポーツを日本に紹介した英国人である。東遊園地にシムの顕彰碑がある。
 明治131880)年514日夜、神戸港は激しい突風に見舞われ、海岸に係留していたシムのヨットが沈没した。翌朝、シムがヨットを引き上げたところ、帆が切りとられてなくなっていて、そばに茶舟が一艘残されていた。茶舟は「川遊びの船に飲食物を売りまわる小船」(「広辞苑」)である。当時、沖に停泊している外国船に茶舟で飲食物、土産物を売る行商人がいた。
シムは、茶舟を証拠品として陸へ引き上げておいた。
茶舟は、西出町の播山茂助の所有舟であったが、盗まれて行方不明になっていた。茶舟を探していた茂輔の息子鶴松は、シムが茶舟を引き上げたことを知り、シムに茶舟の返還を求めた。
シムは鶴松が帆を盗んだ犯人と思いこみ、鶴松を厳しく詰問した。鶴松はヨットのことは知らないと必死に弁明したが、言葉が通じないため意思疎通できなかった。怒ったシムはもう1人の男と共に、鶴松と、同行していた古川忠蔵を建物内に監禁して縄で縛り上げ、ボートのオールで殴打した。
目撃者の通報を受け、神戸警察署員が「居留地警察」警官とともに、現場に急行し、監禁と暴力の事実を確認した上で、2人を救出した。
◆領事裁判  鶴松と忠蔵は、兵庫県を通じて、シムを英国領事に告訴した。「領事裁判時代」の当時、「安政五か条約」に基づき、訴追された外国人の裁判権が日本側には認められず、外国領事が当該国の法律に基づいて裁判をしていた。
森岡昌純兵庫県令は、英国領事に「被告人の罪は遁(のが)るる能わざるを信ず。よって御取調べの上A.C.シム外1名において、無罪なるわが国人を制縛したのみならず、あまつさえ拷打したる始末、貴国法典に照ら、厳重御処分相成りたし」との書状を送り、厳正な領事裁判を要求した。
領事館からの回答は「民事か刑事か、いずれか一方を選択せよ」というものであった。県令はそれを了解し鶴松らに連絡した。鶴松らは、治療費や休業による生活費の補償が必要であったため、やむなく民事訴訟を選んだ。県令は原告が「シム以外一名に対する告訴は損害要償の方に決定」、と領事館に報告した。
不法監禁、暴力、傷害事件は、刑事事件の訴訟ではなく、損害賠償請求にすり替えられてしまった(『兵庫県警察史 明治大正編』)。
 

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