『セルポート』2013年9月11日号(連載通算第453号)「神戸今昔物語」
内地雑居の暁(17) 郵便脚夫の種類
◆「郵便脚夫の種類」 カットのタイトルは「郵便脚夫の種類」である。「郵便脚夫」(郵便配達人)になぜ「種類」があるのか。
2年後の新条約施行で「内地雑居」が実現すれば、外国人も居住地を自由に選ぶことができるようになる。国際郵便物も、外国人が住む特定の地域の郵便局だけが扱っていたが、内地雑居後は日本全国で扱うことになる。
新条約施行を2年後に控えた明治30年8月1日、神戸郵便局に「外国郵便課」が新設された。
カットは、新たに雇われた外国郵便専門の配達人(右)が、同じ地区を担当する郵便配達人(左2人)に、仕事開始の挨拶をしている姿である。
◆前島密と柴田剛中 わが国近代郵便制度創設者の前島
密(1835~1919)は、神戸で、兵庫奉行柴田剛中(1823~1877)の部下として開港準備の仕事をしていたことがある。
柴田は、慶応3年7月11日(1867年8月10日)に、神戸開港準備の責任者として兵庫奉行に任命された。幕府外交官僚の柴田は、それまでに2度の欧州出張経験があった。欧州締約国への神戸開港延期交渉(1862年)と、英仏への製鉄所建設及び軍制調査(1865年)出張である。
慶応3年12月7日(1868年1月1日)、新装なった神戸運上所で、柴田は6か国の公使に神戸開港を宣言した。
慶応3(1867)年、前島密が「兵庫奉行の手付出役」の発令を受けて神戸に来た。32歳の前島は、兵庫奉行柴田の補佐役として、開港準備、居留地造成、運上所建設等の開港準備業務を行い、慶応4(1868)年、兵庫奉行支配役になり翻訳方を兼務した。
これに先立ち、前島は、文久2(1862)年、27歳のとき、長崎でアメリカ宣教師ウィリアムズやフルベッキから英語・数学を学び、米国の郵便事情の教えを受けた。
前島は、神戸で外国との郵便送達の仕組みや切手の実物を見て、近代的郵便制度創設の必要性を実感した。英国では1840年に、全国均一料金、切手貼付・ポスト投函で郵便物が相手に届く「近代郵便制度」が創設されていた。
◆神戸郵便役所 明治4年3月1日、郵便制度が発足し、東京・大阪間の新式郵便取扱が開始された。8月14日、「大蔵省逓寮出張所神戸郵便役所」が宇治野町に開設された。12月5日、「郵便規則」が制定され、東京・長崎間の郵便が開始された。10日、神戸大阪間に1日3便の汽船郵便物運送が始まり、運上所内の郵便仮役所が業務を開始した。19日、神戸で最初の郵便箱(ポスト)が設置された。
神戸郵便役所は、明治5年2月25日に市場町(元町6丁目)に移転した。明治8年1月1日、神戸郵便役所は「郵便局」と改められた。5月、前島が設計した神戸郵便局の新庁舎が栄町6丁目に完成した(『百年史神戸ゆうびんの道筋』)。洋風のモダンなこの庁舎に、明治10年1月28日、明治天皇が休憩のため立ち寄られた。
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