『セルポート』2013年7月11日号(連載通算第448号)「神戸今昔物語」
内地雑居の暁(12) 「羨ましいアリ舛」
◆「羨ましいアリ舛」 カットでは、辮髪の中国人男性が「羨ましいアリ舛」とつぶやいている。彼の足元には「遊歩期定外」の線が引かれている。「遊歩期定外」は「遊歩規定外」の間違いである。「外国人遊歩規定」は、外国人を居留地から半径10里以内の「遊歩区域」内に閉じ込めておくためのものであり、外国人が区域外に出るときは、当局の許可が必要であった。
条約で外国人は開港場・開市場の「居留地」に住むことが義務付けられていた。神戸は、開港勅許が遅れたため、開港日になっても居留地は造成中であった。政府は、外国側の要請を受け、外国人が日本人と混住できる区域として「雑居地」を認めた。居留地を取り囲んで雑居地があり、雑居地の外側に遊歩区域があった。
◆「遊歩規定」 日米修好通商条約第7条で、「日本開港の場所に於て亜米利加人遊歩の規定」として、開港場ごとに、遊歩区域が指定されていた。「神奈川」の遊歩区域は「六郷川筋を限として其他は各方へ十里」であり、「箱館」は「各方へ十里」であった。「兵庫」の遊歩区域は、京都へ距る事十里の地へは、亜米利加人立入さる筈に付き、其方角を除き各方へ十里、兵庫に来る船々の乗組員は、猪名川より海辺迄の川筋を、超ゆへからす(以下略、句読点筆者)」であった。
ちなみに、生麦事件の舞台となった生麦村(現・横浜市鶴見区)は、横浜居留地の遊歩区域内にあった。乗馬の遠乗りを楽しんでいた横浜居留地の外国人が、島津久光の行列と遭遇して、あの事件となったのである。
◆「居留地外に於ける外国人の演説」(「神戸又新日報」明治22年4月9日号) 「先頃、米国宣教師が、新潟県下長岡に於て、宗教演説を為さんとしたるに、同地の警察官は、外国人の居留地外に在りて演説するは、規則の許さヾる所なりとて、之を差止めたるより、外国人中には彼此(かれこれ)苦情を鳴らし、中には其の禁を解かれたき旨、其筋へ建言したる者もありやに聞き居たるが、富山県知事は此事に関し、外国人たるものは、仮令宗教上の事たりとも、居留地外に於て公衆を集め演説を為すと相成らざる儀と存じ居れど、本邦人にして、宗教拡張の為め公衆を集め、一場の法話講談等を為す場合に際し、一時外国人を招待し、一場の講談法話等を為さしむるが如き事も、亦、相成らざる儀にやと、其筋へ伺いしに、外国人たりとも宗教上に関し臨時一場の講談を為すは、差許し苦しからずとの指令ありたるよし」。
新潟県長岡村で、布教活動をしている外国人を警察官が見つけて注意したところ、外国側は逆にそれに対して反論した。新潟県知事は、日本人が宗教的布教のため「法話講和」をするときに、「一時的」に外国人も招き一緒に布教させてもいいのではないか、と政府にお伺いを立てた。政府は、弾力的扱いをしても差支えない、と回答した。
井上薫の条約改正会議がとん挫し、大隈重信外務大臣が、最高裁に外国人判事を入れることと引き換えに不平等条約撤廃を各国と協議していた時代である。
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