2013年7月5日金曜日

改正条約施行 内地雑居の暁 転宅の流行 神戸又新日報


『セルポート』201371日号(連載通算第447号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁(11) 「転宅の流行」

◆「転宅の流行」 カットは、自宅に「かし家」の張り紙をして、家財一式を運び出すところである。家賃は「一カ月百円」とある。明治30年の巡査初任給は9円であるので、家賃はその約11倍となる。借主は外国人であろう。そういえば、開港直後の神戸でも、住民が、外国人に土地、家屋を法外な値段で貸していたとの記録がある(『神戸市史 本編各説』)。

それにしても、なぜ転宅が流行するのか。内地雑居を新たなビジネスチャンスと見た人が、高額の家賃収入を期待できる外国人向けの貸家業を始めたのか、それとも、近隣に外国人が住むことを嫌がって逃げ出すところであろうか。

◆神戸の雑居地  開港当日になっても、居留地はまだ工事中であった。条約では、外国人は、居留地内に住むことと取り決められていた。けれども、工事中の居留地には住めない。外国側は、開港2か月後(33日)に、「居留地外への居住」を認めるよう兵庫県に陳情した。伊藤俊介知事は、「雑居地」を認める書簡(37日付)を各国領事宛に送付した。雑居地は、外国人と日本人が混住できる区域であり、生田川と宇治川、海岸と山ろくに挟まれた9村(生田、二つ茶屋、走水、生田宮、中宮、城ケ口、北野、花隈、宇治野)である。

もともと、雑居地認定は、居留地が完成するまでの暫定措置であり、居留地が完成すれば廃止される予定であった。けれども、後になって、居留地の区域拡張問題が起こったため、雑居地は廃止されることはなかった。

◆「外国人を相手取る」   「当港下山手通七丁目に住居ある小倉タケは、先年来、英国人リースと称ふるものへ、兼て所持の地所(下山手通り)を貸し輿へ居たるが、其後、件の地所の為に紛議を引き起したる末、右タケは八田勇之助と云ふものをして、リースを相手取り、当居留地の英国領事へ向け、地所取戻しの訴訟を起し居りし処、此程、同事件は既に裁決となりしを、原告小倉タケは其裁決を不当とし、復た、八田勇之助を代理として、近日、東京なる同国公使館へ復審の儀を訴へ出んか為め、本県庁へ向け、同館への復申書を乞ひ出たりと聞く」(「神戸又新日報」明治1927日)。

 下山手通の住民小倉タケが、英国人に賃貸していた地所をめぐる紛争があり、タケは代理人を通じて、神戸の英国領事に訴訟を起こしていた。タケは神戸領事の裁決を不服として東京の英国公使館に上告し、兵庫県庁に復申書を申請したという記事である。

領事裁判でも、原告が初審に納得できない場合には再審の道が開かれている。現実には、再審は東京の公使館へ、さらに、外国の高等裁判所へ、最終的にはその国の最高裁へ上告することとなる。語学、経費面で、外国への上訴は事実上できない。通常は、所轄領事の初審裁決に不満があっても泣き寝入りするケースが殆どだった。
 

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