2012年11月30日金曜日

自治体は「国際化政策」ではなく「国際政策」を。ヒトモノカネ情報が地球上を自由に駆け巡る時代:自治体はいま何をすべきか『自治体国際政策論』刊行  

楠本利夫『自治体国際政策論

~自治体国際事務の理論と実践~』発売

(12月5日から全国の書店店頭に並びます)

 
 ヒト・モノ・カネ・情報が地球上を自由に駆け巡る時代、自治体は今何をすべきかを問いかける書物で、タイトルが「自治体国際化政策」ではなく「自治体国際政策」であることに注目していただきたい。これまで、自治体には「国際化」政策はあっても「国際政策」がなかったことが本書執筆の動機である。

以下は本書の骨子である。

1.    国に外交政策があるように自治体も独自の国際政策を持つべきである。

2.    グローバリゼーションが進展し、自治体が外国と接触する機会増え、域内の外国人住民も増加しその国籍構成も激変した。

3.    自治体の国際事務は、①国際交流・外国との交際(姉妹都市交流、青少年海外派遣等)、②多文化共生社会の構築(外国人住民との共存、外国人差別の除去等)、③国際経済施策(外国人観光客誘致、外資系企業誘致等)、④地域国際協力(水道等自治体が得意とする生活密着分野での国際協力)である。国際事務を展開するための政策が自治体国際政策である。

4.    いうまでもなく、自治体の目的は「住民福祉の増進」(地方自治法)であり、自治体の国際事務もその目的を達成するための手段である。目的と手段を混同しているように見える事例も決して珍しくはない。

5.    国際政策を遂行するにあたっては「地域益」の視点が大切である。地域益は、経済的利益だけではなく、地域文化創造、多文化共生、青少年育成、防災、自治体行政、国際社会における自治体のプレゼンス等への寄与効果を総合的に勘案しなければならない。

6.    国際事務も「事業評価」(費用対効果の測定)と「事業仕分け」の対象である。「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の選択と集中も必要である。

7.    国際事務の実施には住民との連携が必要不可欠である。住民力を国際事務に導入することにより、自治体は苦手分野である国際事務の処理体制を充実させることが可能になる。同時に、住民参加により行政の透明性が担保され、参加する住民は地域の国際事務に貢献することに生きがいを持つことができる。

8.    わが国自治体の国際交流の中心は姉妹提携に基づく外国の自治体との交流である。日本の自治体は、姉妹提携を純粋に友好交流ととらえている。近隣の国の中には、姉妹提携による交流を政治的に利用しているように見受けられる例が少なくない。

9.    グローバリゼーションの進展は、自治体が積極的に国際政策を展開することによって住民福祉の増進を図るチャンスである。自治体がこのチャンス生かするために、自治体首長や職員にグローバル・リテラシー(国際対応能力)が求められる。

10.  著者は、本書を自治体首長、議員、職員、教員、国際交流協会職員、NGONPO職員等を対象として執筆した。

(公人の友社刊、定価:税込1470円)

神戸近現代史案内 連載14年目(「湊川神社物語」『セルポート』2012.12.1号)


『セルポート』2012121日号(連載通算第428号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第96

連載14年目に(移住坂/居留地百話/神戸今昔物語)

◆連載14年目   この連載は今号で14年目に入る。連載を始めたのは1999121日号である。当時、筆者は現職の公務員であった。公務員は目立ってはいけない。このように新聞に寄稿することは周囲からは歓迎されない。当時のペンネーム「寓籠駆」(グローカル)は、グローバルとローカルの造語に「寓居に籠って世界を駆ける」と漢字をあてたものである。
 
◆「移住坂」   連載の目的は、筆者たちが19997月から開始した市民運動「神戸海外移住者顕彰事業」を広く宣伝することであったので、表題は「移住坂」とした。
当時、神戸市役所内でも、移住者へのステレオタイプの誤解と偏見が根強く残っていた。「移民は暗い。暗い話は神戸のイメージに合わない」「移住者は政府にだまされたと思い祖国を恨んでいる」「身内に移住者がいることを家族は話したがらない」「外国でも移住者が出発したところには記念碑はない」「いまさら寝た子を起こすな」などと真顔で忠告してくれる人もいた。

はたしてそうか。移住者は日本人の世界展開のパイオニアである。神戸は移住者が最期に過ごした日本の町である。移住者は神戸から希望に燃えて世界へ旅立っていった。この神戸で移住者の功績を後世に伝えることを移住者は喜んでくれるに違いない。こう考えて市民運動を提唱した。

運動を積極的に支援してくれる人が続々と現れた。「捨てる神あれば拾う神あり」である。佐藤国汽船の佐藤国吉会長は「移民収容所の近くで生まれ育った私にとり移住者は身近な存在だった。神戸としてもっと早くこの運動をするべきだった」と語って下さった。移住者の姿と現地で彼らを待ち受けていた苦難に思いを馳せた会長の目から大粒の涙が流れた。

セルポートの岸田芳彦社長が趣旨に賛同し紙面を快く提供して下さった。岸田社長に心から感謝している。

◆「移住坂」  運動を始めると海外日系人から大きな反響があった。シンボル事業のメリケンパーク「移民船乗船記念碑」建立に、内外から約2650万円以上もの寄附が集まった。2001428日午後555分、記念碑の除幕式を行った。第1回ブラジル移民船・笠戸丸が明治41年に神戸を出港した日の時刻に合わせたのである。記念碑像は、彫刻家菊川晋久氏の作品である。

20096月、国立神戸移民収容所(昭和3年開業)は「神戸市立海外移住と文化の交流施設」として生まれ変わった。山手のこの施設から浜手の記念碑へ下る「移住坂」は、かつて移住者が徒歩で移民船へ向った坂道である。神戸の新たな観光スポットとなった移住施設を訪ねる観光客、日系人も多い。

◆「居留地百話」「神戸今昔物語」  「移住坂」連載は1年で終了した。続いて「居留地百話」を100回連載した。200411日号から「神戸今昔物語」として神戸の近現代史を紹介している。「なんこうさん物語」は「神戸今昔物語」の1章である。
 資料集めで、神戸市立中央図書館、神戸市文書館の皆様にいつも大変お世話になり感謝している。この場を借りて厚くお礼を申し上げる。

カット:「神戸海外移住者顕彰事業」のパンフレット(1999年)

尊氏を驚かせた弓の名手 遠矢浜の由来(「湊川神社物語」『セルポート』2012.11.21号)


『セルポート』20121121日号(連載通算第427号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第95

遠矢浜

◆大楠公由来の地名  過日「楠公と神戸」と題して市民向けの講演をする機会があった。楠木正成にちなむ神戸の地名として、楠町、菊水町(正成の旗印)、多聞通(正成の幼名)等を紹介した。遠矢町、遠矢浜町の由来は時間がなかったので省略したが、この町名も湊川の合戦の際の故事にちなんでいる。
 13365月朝、海路、京へ攻め上る足利尊氏の大軍が載った船団が和田岬沖に到着した。陸上では、後醍醐方総大将新田義貞の軍が尊氏軍の上陸を待ち受けていた。このとき、義貞方の武士が沖の尊氏の舟に向けて遠矢を射たことが、遠矢町、遠矢浜町の地名の由来である。

◆本間孫三郎重氏の遠矢  義貞の軍勢(『太平記』では25千、『梅松論』では1万)は、和田岬に
3段に分かれて布陣していた。尊氏の大軍を運んできた舟は海を埋め尽くした感があった。合戦が始まったのは午前10時ごろである。合戦の前、両軍がまだにらみ合っていた時、新田方の一人の武士が、馬に乗って波打ち際に進み出た。本間孫三郎重氏である。重氏は大音声で沖の尊氏の軍船に呼びかけた。「将軍筑紫よりご上洛候へば、定めて鞆・尾道の傾城ども多く召し具され候ふらん。その為に珍しき御肴一つ参らせ候はん。暫く御待ち候へ」。「筑紫(九州)からはるばる京へ攻め上る尊氏に珍しい魚を献上する」というのである。
重氏は流鏑矢を抜いて弓につがえ、松の木の陰で沖を狙った。波の上に1羽のミサゴが60センチほど
の魚を銜えて飛びさろうとした。ミサゴは海岸の岩に住むトビに似た鋭い爪を持つ鳥である。重氏が射た矢はミサゴに見事に命中し、ミサゴを射ぬいたまま、尊氏の座船の右手に停泊していた大友広幸の舟の屋形に突き刺さった。ミサゴは片羽をばたつかせていた。「ア、射タリ射タリ感スル声、且クハ(しばらくは)鳴モ静ラス」。重氏の弓の腕前を目の当たりにした両軍の兵士が、やんやの歓声を上げたのである。
◆尊氏方武士の遠矢  これを見た尊氏は「名を名乗れ」と声をかけた。重氏は「名乗ってもご存じな
いと思うが、弓を取っては坂東八か国では名が知られている。名はこの箭(矢)でご覧あれ」と弓を引き絞って尊氏の舟をめがけて矢を射た。矢は海上56町(1町は109㍍)離れた尊氏の舟の隣に並んでいた佐々木筑前守の舟の上の兵士の鎧の草摺(鎧の胴の下に垂れて大腿部を保護するもの)に刺さった。
尊氏がこの矢を見ると「相模国住人本間孫四郎重氏」と小刀の峰で彫りつけてあった。重氏は「合戦
の最中なので、矢は1本でも惜しい。その矢をこちらに返してほしい」と大声で叫んだ。筑前守の配下の武士が「この矢を受けて見よ」と、大声で叫び重氏に向けて射返した。けれどもその矢は2町も飛ばずに波に落ちてしまった(『湊川神社史 祭神編』)。
これが遠矢浜の地名の由来である。
和田岬小学校校庭にこの時の由来を書いた「本間重氏遠射址之碑」石碑がある。
(芦屋大学 客員教授 楠本利夫)
 
和田岬小学校「本間重氏遠射址之碑」