2016年2月18日木曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(5)~壮大な4幕オペラ「明治神戸」~(『セルポート』2016.2.21号)

神戸今昔物語(第534号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(77
 
       『豪商 神兵 湊の魁』(5)~壮大な4幕オペラ「明治神戸」~

 4幕のオペラ  明治の神戸は4つの時代に区分することができる。

オペラにたとえると、プロローグ「神戸開港前夜」に続く、1幕は国際都市神戸の「創業」、第2幕は「離陸」、第3幕は「市制施行」、第4幕は「飛躍」である。

◆プロローグ  安政条約で開港場となった兵庫が、神戸に替わるドラマを、幕末の京都、兵庫を舞台にして、公家、将軍慶喜、英国オールコック公使等が登場する。

◆第1幕「創業」(慶応3.12.7~明治9)  国際都市神戸の創業時代で、開港式、居留地競売、雑居地、外国領事館開設、神戸事件、兵庫県発足、生田川付替、湊川神社創建、栄町通開通、神戸大阪間鉄道開通、「神戸又新日報」創刊等の場面が続く。

登場人物は、各国公使に神戸開港を告げた柴田剛中、神戸事件処理勅使として神戸で明治政府最初の外交を行った東久世通禧、神戸事件の責任を取らされて切腹した備前藩士瀧善三郎、初代兵庫県知事伊藤博文、英国パークス公使、KR&AC創設者A.C.シム、加納宗七、神戸ホーム(女学院の前身)を創設した米国人女性宣教師ダッドレーとタルカット、湊川神社折田年秀宮司等である。

◆第2幕「離陸」(明治1021 居留地商館が本格的に稼働し開港場神戸が国際都市に向けて離陸し始めた時期である。

神戸京都間鉄道開通、西南戦争、コレラ流行、川崎造船所開業、神戸区発足、『豪商神兵湊の魁』、マッチ製造、大阪商船と日本郵船設立、弁天浜御用邸開設、神戸区発足、「神戸又新日報」刊行等のドラマが展開する。

神戸初の洋風夜会を開催した内海忠勝知事、明治天皇御用邸の元オーナー専崎弥五平、西南戦争の軍事輸送で巨利を得た岩崎弥太郎と光村弥兵衛、最後の三田藩主九鬼隆義、小寺泰次郎、ノルマントン号事件の海事審判長トゥループ英国領事、小野浜造船所を開設した英国人キルビー等が登場する。

◆第3幕「市制施行」(明治22~明治31)  神戸市政施行から居留地返還前までである。

1回神戸市長選挙、東海道線全通、海軍観兵式、上水道、電燈点灯、大津事件の際の御用邸での皇室外交、日清戦争、兵庫運河、水道設計調査、日本郵船外国航路、湊川改修起工等の場面である。

登場人物は、初代神戸市長鳴滝幸恭、ロシア帝国ニコライ皇太子、上水道を設計した英工兵将校パーマー、神戸クロニクル記者ラフカディオ・ハーン等である。

◆第4幕「飛躍」(明治3245 改正条約が発効して居留地が日本側に返還され、神戸が飛躍の時代を迎えようとする時代である。

居留地返還、日露戦争、六甲山の開山と神戸ゴルフ倶楽部、トアホテル、湊川付替、官立神戸高商、上水道拡張、神戸港修築工事(第1期)起工、第1回ブラジル移民船笠戸丸、三菱造船所開業等のドラマである。

居留地返還式で歴史に残る名演説をしたフォサリュー領事、六甲山開祖グルームに加え、笠戸丸移民等もわき役としてドラマを盛り上げる。 


2016年2月15日月曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(4)~居留地競売~(『セルポート』2016.2.11号)

       神戸今昔物語(第533号)湊川神社物語(第2部)
      「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(76

『豪商 神兵 湊の魁』(4)~居留地競売~
 
◆『豪商 神兵 湊の魁』  『豪商 神兵 湊の魁』(明治1511月)は、神戸区の「先端企業名鑑」「商工名鑑」である。同書には神戸と兵庫の事業者574が掲載されている。

◆神戸開港   「安政五か国条約」で開港場として取り決められたのは神戸ではなく兵庫であった。天皇が兵庫開港に反対していたので、朝廷は開港勅許を出さなかった慶應21222日、天皇が突然崩御された。

将軍慶喜は「外国との約束をまもるべき」として、朝廷に兵庫開港勅許を再三迫った。

慶応3524日、ついに朝廷は開港勅許を出した。幕府が各国と取り決めた開港日まで半年余しかない。当時、兵庫は北前船の拠点、西国街道の宿場町として繁栄していたので、住民は開港を嫌がり現状維持を望んだ。幕府は兵庫に替えて神戸村を開港場とすることとし、海岸沿いに外国人居留地を建設した。

◆居留地競売   開港日、居留地は建設中であった。世界中から来航した外国人は居留地周辺の民家を借り上げて居留地の完成を待った。領事館も居留地の外に開設された。外国人を困らせたのは法外な家賃と日本食であった。刺身とみそ汁は口に合わない。

居留地競売の詳細は、明治元年619日に「大阪兵庫外国人居留地約定書」でとり決められた。居留地の永代借地権競売は4回に分けて行われた。

1回競売は明治元724日(1868.9.10)で、36区画を5か国30人が落札した。落札できなかった貿易商は、次の入札まで待たなければならなかった。

2回競売は明治2421日(1869.6.1)であった。25区画に4か国と行事局が落札した。第3回競売は明治3416日(1870.5.16)で、60区画を42事業者が落札した。第4回競売は明治6217日(1873.2.17)で5区画を4事業者が落札した。

126区画すべての競売完了まで4年半の歳月がかかっている。

国別内訳は、イギリス64区画(50.8%)、ドイツ2318.3)、オランダ1511.9)アメリカ118.7)、フランス118.7)、イタリア10.8)、行事局10.8)であった。

◆中国人   開港した年の8月、神戸に数人の中国人が横浜、長崎から神戸に来た。

欧米人貿易商は商館の運営に、中国人を番頭として使用することが多かった。明治4240人だった神戸の中国人は、明治15年には692人となり外国人の7割を占めた。

清国が日本との締約国ではなかったので、中国人は居留地競売に参加できなかった。彼らは雑居地に土地を求めた。現在も、トアロード、南京町には中国人の所有土地が多い。

作家陳舜臣が生まれ育った海岸通り5丁目の家は「華僑商館の典型的な体裁」で「一階が倉庫、二階が事務所、三階が住居」であった。戦前、「海岸通りと栄町通」の中間の道路の両側には中国人の「海産物問屋がずらりとならんでいた」(『神戸ものがたり』)。
 
 

2016年2月3日水曜日

『豪商 神兵 湊の魁』(3)~本書の意義~(『セルポート』2016.2.1日号)


「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(75

『豪商 神兵 湊の魁』(3)~本書の意義~
 
 ◆『豪商 神兵 湊の魁』  『豪商 神兵 湊の魁』(明治1511月)は、明治10年代前期の神戸区「先端企業名鑑」である。

神戸区は、明治1218日に「第一区神戸」と「第二区兵庫」に坂本村を加えて発足した。明治22年4月、神戸区に葺合村、荒田村を合わせて神戸市が誕生する。

同書では、神戸区を、湊川で東西に分けている。冒頭からページを繰っていくと、突然「神戸区・湊川之西」と表記したページが現れ、兵庫の事業所紹介が続いている。神戸には特段の表示はない。

当時、兵庫と神戸は、川床6㍍超の天井川・湊川により東西に分断されていたため、交流はほとんどなく、「人情、風俗、嗜好、習慣」まで異なっていた(『神戸開港三十年史』)。

◆雑居地  開港当日になっても居留地は工事中であった。朝廷による開港勅許が遅れ、幕府が居留地建設に着工できなかったためである。外国人は「住むところがない」として、政府に居留地外の居住を認めるよう陳情した。政府は居留地の外側に日本人と外国人が混住できる「雑居地」を設けた。雑居地は生田川と宇治川の間の区域である。

開港した神戸に各国は領事館を開き、欧米人貿易商が商館を開業した。中国人も数多く来住した。開港翌年の186911月にスエズ運河が開通した。東西の物流、人流が盛んになり、神戸は横浜とともにわが国の「世界への窓口」となっていく。

日本人も国内各地から神戸に移住してきた。神戸では「隣人は外国人」であった。進取の気風に富む新来住民は、外国人のライフスタイル、生活文化を積極的に吸収し、外国人相手の商売にも果敢に挑戦した。

『湊の魁』の意義

同書には神戸区の小売業、卸売業、飲食業、料亭、製造業(靴、西洋家具、パンビール等)、造船所、米商会所、問屋、代言人(弁護士)、左官、銭湯、理髪店等574事業者が、屋号、取扱品目、所在地等とともに紹介されている。

同書の意義として次の諸点を指摘することができる。

1は、開港から15年が経過した神戸で、欧米風の生活文化の萌芽が確認できることである。

2は、神戸に三菱会社を中心とした海運関連企業が定着しつつあることがわかることである。

3は、貿易関連業が神戸に定着しつつあることが確認できることである。

4は、神戸と兵庫の町の性格違いを読み取ることができることである。

5は、湊川が神戸と兵庫を、物理的、心理的に分断していたことが分かることである。

6は、神戸と兵庫の観光名所が紹介されていることである。

7は、スケッチ等のビジュアル情報があることである。

8は、「国際港湾都市」「国際貿易都市」神戸の芽生えが見えてくることである。

9は、おしゃれで上品な大都市神戸の都市魅力の原点が読み取れることである。

10は、同書を『神戸開港三十年史』等の同時代の史料と併せ読むことによって、当時の神戸の様子が生き生きと伝わってくることである。
 

(カット)「神戸区湊川西之部」のページ