英字紙の「パン広告」
神戸窯(KOBE OVENS)
ワレン・チルソンズ社
米国産小麦で焼いた高級パンを、毎日、各窯から直送。
1868年4月23日、神戸
このとき、神戸の外国人居留地はまだ工事中であった。外国人は居留地外周の民家に仮住まいして居留地の完成を待っていた。
広告主は、横浜外国人居留地のワレン・チルソン社(Warren, Tillsons &
Co)である。横浜は神戸より9年早く開港していた。横浜で外国人向けに食料品を取り扱っていた同社が、神戸の外国人を対象に広告を出したのである。新たに開港した神戸の外国人は、同社にとり有望な顧客であった。
◆パン広告掲載紙 「ヒョーゴ・ニュース」は、神戸で2番目に創刊された英字新聞である。1月1日の神戸開港から、3か月と23日経過後の創刊である。
神戸には、すでに、開港3日後の1868年1月4日に創刊された英字紙「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」(The Hiogo
and Osaka Herald)があった。創刊者は、横浜の「ジャパン・ヘラルド」(The Japan
Herald)社主のA.T.ワトキンス(A. T.
Watkins)で、週1回土曜日発行紙であった。
ヒヨーゴ・ニュースを創刊したのは、ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド紙の植字工をしていたF・ブラガ(F. Brage)である。木曜日発行の同紙は米国領事館の公示掲載紙に指定された。
◆開港直後の神戸 1868年の神戸の様子は次のとおりであった。
1.1(慶応3.12.7):神戸開港1.3(12.9):「王政復古の大号令」
1.4(12.10):「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」創刊
1.27(慶応4.1.3):鳥羽伏見の戦い(「戊辰戦争」勃発)
2.4(1.11):「神戸事件」(備前藩兵と外国軍隊の衝突)
2.8(1.15):勅使・東久世通禧、神戸で各国公使と会見し事件処理(新政府初の外交)
2.15(1.22):「兵庫鎮台」設置(後「兵庫裁判所」に改組)、東久世が初代総督に
3.2(2.9):瀧善三郎、神戸事件の責任を取り兵庫永福寺で切腹
4.6(3.14):五箇条の御誓文
4.14(3.22):兵庫裁判所役人(岩下片平、伊藤俊輔等6人)、楠社創建を朝廷に建議
4.16(3.24):東久世、建議を朝廷に上奏
4.23(4.1):「ヒョーゴ・ニュース」創刊
4.25(4.3):東久世から岩下に書状(朝廷が建議承認見込み)
5.3(4.11):江戸城開城
5.13(4.21):明治天皇、湊川に楠社創建を勅し金1千両下賜
9.10(7.24):居留地第1回競売(34区画)
10.23(9.8):改元詔書。「慶応4年1月1日に遡り明治元年とする」
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