「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(39)
日本パン学会(2) 神戸のパン略史
なぜ、神戸のパンはおいしいのか。神戸のパンは、いつ頃から全国に知られることになったのか。
◆神戸のパン略史
1868(明治元):神戸開港(外国人居留地開設、外国領事館、外国商館開設)。
1869(明治2):スエズ運河開通(欧州と極東の物流、人流が盛んになる)。
1873(明治5):湊川神社創建。
1874(明治7):神戸大阪間鉄道開通。
1877(明治10):神戸京都間鉄道開通。
1878(明治11):芳香堂(元町3丁目)の新聞広告「焦製飲料コフィー」。
1882(明治15):『豪商神兵 湊の魁』に「ビール・パン製造所」、芳香堂。
1899(明治32):外国人居留地返還。
1905(明治38):「藤井パン」(第2次大戦後「ドンク」と改称)創業。
1914(大正3)~1918(大正7):第1次大戦(青島のドイツ兵捕虜が日本の捕虜収容所に)。
1917(大正6):ロシア革命(白系ロシア人多数が来神)。
1923(大正12):関東大震災(関東から多くの外国人が神戸に来住)。
1945(昭和20):第2次大戦終結。
1973(昭和48):神戸市「ファッション都市宣言」。
1977(昭和52)~78(53):NHK連続テレビ小説「風見鶏」。
1981(昭和56):ポートアイランド博覧会。
◆神戸のパンが全国に 1868年の神戸開港で外国人がもたらした神戸のパン作りの技を、第1次大戦、ロシア革命、関東大震災で神戸に移住してきたドイツ人、ロシア人職人がさらに発展させた。
1973年、神戸市は「ファッション都市」を宣言し、アパレル、食品等の「生活文化産業」を、神戸を支える産業のひとつと位置付けた。続いて、NHK連続テレビ小説「風見鶏」が、異人館を舞台にドイツ人パン職人と日本人女性を取り上げたことで、異人館ブームが起き神戸のパンが一気に有名になった。さらに、「ポートアイランド博覧会」で、おしゃれな街神戸のイメージが定着した。
◆日本パン学会 今年12月、「日本パン学会」を立ち上げた。パンに関する学際的研究により、パン文化のより一層の振興と発展をはかるためである。事務局は、芦屋大学に設置する。学会設立のきっかけは、筆者がお手伝いをしている「神戸市シルバーカレッジ」国際文化協力コースのシニア学生たち(平均年齢70歳)が、2014年3月に研究報告書「神戸・パン物語」を発表し、パンに関する学際的研究を提唱したことである。
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