2013年8月6日火曜日

改正条約施行「外字記者征伐」ハーンと兵庫県知事服部一三 神戸の英字新聞


『セルポート』201381日号(連載通算第450号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁(14) 「外字記者征伐」

 

◆「外字記者征伐」 カットのタイトルは「外字記者征伐」である。外国人記者の首に「新聞紙条例」が突き付けられ、手にペンを持った記者は困惑している。「外字記者」とは外国語新聞の記者であり「新聞紙条例」は新聞取締法である。居留地時代、政府は、「新聞紙条例」で国内の新聞を統制したが、外国人が発行する外国語新聞には手が出せなかった。新条約が発効すれば、外国語新聞にも条例を適用できる。

◆新聞紙条例  明治元年、政府は新聞の無許可出版禁止を布告した。翌明治2年、政府は新聞を許可制としたが、検閲は行わず新聞発行を奨励した。明治7年、民選議院設立建白書(国会開設建白)を機に「民権論」が起こり、新聞雑誌による反政府的言論活動が活発化した。明治8年、政府は、言論統制令である「讒謗律」(ざんぼうりつ)とともに「新聞紙条例」を公布し、「政府変壊、成法非難」を禁じ、違反者には刑罰を課すこととした。明治9年、付加規則で「国安」妨害記事に対し、内務卿による発禁等の行政処分権を認めた。明治16年の全文改正で、府県知事への事実上の行政処分権付与等、新聞への制限を強化した。明治20年改正で許可制を届け出制に緩和し、明治30年に行政処分権を廃止し、発禁等は司法処分権とした(『日本近現代史小辞典』角川書店)

◆神戸の英字新聞  神戸開港3日後の慶応31210日、神戸で最初の英字紙「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」が創刊された。同紙は、居留地会議、領事裁判、領事館布告、居留地ニュース、日本国内情勢、本国情報等を報道していたが、後発の「ヒョーゴ・ニューズ」に徐々に押され、明治8年に廃刊となった。廃刊を明治45年とする説もある。

「ヒョーゴ・ニューズ」は、明治元年4月発刊である。当初は週1回発行であったが、明治24月に週2回発行になり、明治10年から日刊紙となった。明治32年、夕刊紙となり「ヒョーゴ・イブニング・ニュース」と改称し、同年9月、本社焼失を機に「コウベ・クロニクル」と合併した。明治33年、「コウベ・クロニクル」は、「ジャパン・クロニクル」と改称した。

◆ラフカディオ・ハーン  ハーンも「コウベ・クロニクル」(明治24年発刊)の論説記者であった。明治2710月末に来神したハーンは、明治29820日に東京帝国大学英文科講師として転出するまで、下山手4丁目7番地、同6丁目26番地、中山手7丁目16番地に移り住み、明治292月に日本に帰化して、姓を小泉と改めた。日本文化を愛したハーンは、開港した神戸が、日本の良さを失いつつあることを嘆き、外国人居留地の軽薄さを皮肉った論説を残している。

ハーンは、明治17年秋にニューオーリンズで、服部一三に出会って日本に興味を持ち、服部のあっせんで松江中学校の英語教師となった。服部は後の兵庫県知事である。もし、服部との出会いがなければ、日本文化を英語で紹介したハーンの名作は生れなかったかもしれない。

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