『セルポート』2013年8月11日号(連載通算第451号)「神戸今昔物語」
内地雑居の暁(15) 「握手の初歩」
◆握手の初歩 新条約発効を2年後に控えた明治30年、「神戸又新日報」に「内地雑居の暁」と題した風刺画が連載された。新条約が発効すれば、外国人居留地が廃止され、外国人と日本人の「内地雑居」が始まる。庶民は、隣人が外国人になることを心配した。言葉と交際のマナーが分からない。
カット「握手の初歩」では、和服の二人の男性が握手をしている。右側の男性は左手を出し、相手の手を握らず、照れくさそうに右手で顔を覆っている。左側の男性は右手を出して相手の左手首を握っている。
握手の習慣がない日本人には、西欧風の握手の仕方がわからないのは当然である。
◆夜会の心得 庶民だけではない。上流階級の人たちも西欧のマナーが苦手だった。
明治19年11月3日、内海忠勝兵庫県知事夫妻が、兵庫県会議事堂で、「天長節夜会」を開催した。内海と同郷の長州出身の井上薫外務大臣が東京で鹿鳴館外交を展開していた頃である。井上に呼応し、内海は神戸で初めての本格的夜会を主催し、外国領事、貿易商と共に、神戸の上流階級の日本人が招かれた。初めての西欧風夜会である。どうふるまえばいいのかわからない。
そんな紳士達の心を見透かしたように、「神戸又新日報」に「夜会の心得」が掲載された(明治19年10月20日号)。井上薫外相も、夜会に招かれた日本人のために、夜会マニュアル『内外交際宴会礼式』を編述している。
記事「夜会の心得」は、夜会の定義から始まり、衣服、時間、挨拶等についての心得を具体的に細かく列記している。
「夜会の席にて、(略)猥(みだり)に婦人に向て、握手を試みる可からず。握手は凡へて婦人より之を促すものと知る可し。又、自分より目上の人、若くは、年長の人に対し握手を促すは、敬礼の道にあらず」と心得を紹介している。
◆現代人も握手は苦手 平成25年、日本経済新聞(5月11日号、「プラス1」)に握手のマニュアル記事が掲載されていた。
「握手は目を見て力強く」「お辞儀しないで堂々と」の見出しで、外国人が困惑する日本人の握手の例として、①目を見ないで手を握る(相手から不誠実と思われる)、②力を入れずに手を握る(熱意がないと勘違いされる)、③お辞儀しながら握手する(卑屈な印象を与える)を挙げている。
「握手は交渉の第一歩、握り方によって、相手が持つ第一印象が大きく変わる」「相手の目を見て手を力強く握るよう心がけたい」と記事は結んでいる。
この記事が掲載された3日後の5月14日、安部政権の某内閣官房参与が北朝鮮を訪問した。小泉首相秘書官をしていたこともある強面の人である。参与は、北朝鮮ナンバー2の金永南最高人民会議常任委員長と握手したとき、やはり、相手の目を見ずにぺこりと頭を下げていた。いつの時代も日本人は握手が苦手なのである。