2013年3月18日月曜日

居留地返還、内地雑居、神戸又新日報 「神戸今昔物語」


『セルポート』2013321日号(連載通算第438号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁

◆居留地返還  「内地雑居の暁」は、明治302月から4か月間にわたり、「神戸又新日報」に断続的に掲載された24枚の風刺絵である。

新条約が明治321899)年717日に発効する日を2年後に控えた頃の、市民の不安と期待を皮肉ったものである。

幕府が欧米列強と結んだ「安政五か国条約」で、兵庫(神戸)、神奈川(横浜)、長崎、箱(函)館、新潟の開港と、江戸と大坂の開市が取り決められた。条約上、「開港」とは港だけを開くことではなく、町を外国に開くことである。外国船舶は貿易のため開港場には入港できるが、開市場には入港できない。開港場、開市場には外国人居留地が開設された。

◆開港式  186811日の神戸開港式は、神戸外国人居留地南端の海沿いに新装なった運上所で行われた。横浜、長崎、箱館から9年遅れての開港である。日本政府を代表して兵庫奉行柴田剛中が、フランス(レオン・ロッシュ公使)、イギリス(ハリー・パークス公使)、イタリア(デ・ラ・トゥール公使)、プロシャ(フォン・ブラント代理公使)、オランダ(ファン・ポルスブロック公使代理総領事)、アメリカ(ファン・ファルケンブルグ弁理公使)に、幕府外交事務・永井玄番頭の花押入り「開港・開市宣言書」を読みあげて手交した。通訳は英語、オランダ語に堪能な与力の森山多吉郎であった。

◆治外法権  日米修好通商条約(安政4年)では、「日本人に対し法を犯せる亜米利加人はアメリカコンシュル裁断所にて吟味の上亜米利加の法度を以て罰すへし亜米利加人へ法を犯したる日本人は日本役人糺の上日本の法度を以て罰すへし(略)」と取り決められていた。日本人が犯した犯罪は日本の奉行が裁判するが、外国人が犯した犯罪は外国領事が裁判し、日本は関与しないという取り決めであり、一見、平等であるように見える。実際、条約協議の段階で、幕府の役人はこの条項にまったく反対しなかった。役人たちは、外国人を外国領事が裁けば、日本側は面倒なことに巻き込まれないと考えたからである。けれども、犯罪が行われる場所は日本の領土であり、外国人の犯罪で侵害されるのは日本の国益であり日本人の人権なのである。

◆速力の相違  新条約が発効すれば、外国人も日本国内で居住地を自由に選ぶことができ、どこへでも自由に行けるようになる。日本側は、外国人との生活習慣の違いによるトラブルや文化摩擦を懸念した。外国人には、特権がなくなることと、異教徒である日本の法律制度、裁判制度等への不安があった。


居留地時代、居留地の警備は、居留地自治組織である居留地行事局の居留地警察が行っていたが、新条約発効で居留地が返還されれば、日本の他の地域と同様に日本の警察権が及ぶことになる。

カットの「内地雑居の暁・速力の相違」は、足が長い外国人を追いかける日本人の警官を皮肉っている。治外法権で傲慢な態度に慣れ切っていた外国人を取り締まることに、日本人警官はさぞ緊張したことであろう。

2013年3月14日木曜日

居留地返還 内地雑居 法権の回復 神戸又新日報

『セルポート』2013311日号(連載通算第437号)「神戸今昔物語」

居留地返還と内地雑居

◆法権の回復  カットは「神戸又新日報」(明治3031日号)に掲載された「内地雑居の暁 法権の回復」と題した風刺絵である。外国人男性が背中に「日本法典」の厚い書物を載せられて、もがいている。

「内地雑居の暁」は明治302月から6月まで同紙に24回連載された風刺絵シリーズである。明治政府待望の新条約の発効2年後に控えていた頃である。新条約が発効すれば外国人には治外法権の特権がなくなることになる。

◆不平等条約撤廃  幕末、安政51858)年に幕府が列強と締結した「安政条約」は、外国側に領事裁判権を認め、日本側には関税自主権もないという「不平等条約」であった。条約を引き継いだ明治政府の最大の外交課題は不平等条約撤廃であった。政府は岩倉使節団派遣、鹿鳴館外交等々の涙ぐましい努力を行った。

明治27年7月、政府はイギリスとの間に治外法権の撤廃、内地開放、税率の一部引き上げ等を内容とする「日英通商航海条約」の締結に成功し、その後、日本は各国と同内様の条約を締結した。

明治32717日、新条約の発効により、治外法権が撤廃され、外国人居留地が日本側に返還された。

◆内地開放  安政条約では、外国人が日本国内で住むことができるのは、横浜、長崎、函館、神戸などの「開港場」の外国人居留地のみであり、自由に行ける範囲も、居留地から半径10里以内と定められていた。

新条約が発効すれば、外国人も日本国内で自由に居住地を選ぶことができ、どこへでも自由に行けるようになる。日本側の懸念は、外国人との生活習慣の違いによるトラブルや文化摩擦であった。外国側の懸念は、それまでの特権がなくなること、キリスト教国ではない日本の法律制度、裁判制度、監獄制度等であった。不平等条約時代には、日本で罪を犯して訴追された外国人を裁くのは母国の領事であり、依拠する法律は母国の法律であったので、外国人には安心感があった。

◆神戸の「雑居地」  慶応3127日(1868年1月1日)、神戸は開港した。外国人居留地南端の海岸に面した場所に建てられた神戸運上所で開港式が行われた。正午、神戸沖停泊していた18隻の外国軍艦が放つ21発の号砲が山々にこだました。

開港日になっても居留地はまだ完成していなかった。朝廷による条約勅許が遅れ、幕府が居留地の造成に着手できなかったためである。外国側に約束した開港予定日の半年前になって、朝廷は勅許を下ろした。幕府は兵庫奉行柴田剛中に居留地造成を突貫工事で進めさせた。居留地は生田側と鯉川、西国街道と海岸線に囲まれた区域である。

工事中の居留地には人は住むことができない。外国人は「居留地外への居住」を認めるよう政府に要請した。政府は外国人が日本人と混在できる地域として「雑居地」を認めた。雑居地は、生田側と宇治川、山麓と海岸に囲まれた区域である。

 新条約が発効すれば日本全体が「雑居地」になる。外国人との混住への不安をユーモラスに描いた「内外人雑居の暁」を、次号以下で紹介していきたい。
 

「内地雑居の暁 法権の回復」(「神戸又新日報」明治3031日号)
 

2013年3月1日金曜日

湊川神社と日本人の心 「湊川神社物語」(『セルポート』2013.3.1号)

『セルポート』201331日号(連載通算第436号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第104

湊川神社と日本人の心

◆神職の禊(みそぎ)   初対面の人から「湊川神社の神職か」と尋ねられた。質問者はこの連載の読者とのことであった。私が知人にメール添付ファイルで送っているこの連載を、知人がその人に転送していたことが後で判明した。

湊川神社の神職に間違えられることは光栄である。湊川神社では、年数回午前8時から垣田宗彦宮司以下、神職全員が禊をする。冷水を浴びてけがれをとり身体を清浄にして神に祈願するためである。厳寒の217日(祈年祭)、1231日(大みそか)の禊は、想像するだけでも心臓発作を起こしそうになる。

「なんこうさん物語」は、201011日号から連載を開始した。すでに33か月が経過している。湊川神社に関する講演も30回以上行った。湊川神社について書きたいことはまだ山ほどある。けれども、マンネリ化を避けるため、ここで連載はいったん休止し、「神戸今昔物語」に戻ることとする。その上で、近い将来、「なんこうさん物語」第3部を再開したい。

◆皇国史観  湊川神社の連載を始めた時、「皇国史観の象徴を書くのか」と怪訝な顔をする知人もいた。皇国史観とは「国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国の歴史として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた」(『広辞苑』)である。

 第2次大戦中、軍部は戦争遂行のため「国民精神総動員」を図り、湊川神社をその象徴として利用した。神社主祭神である正成の天皇への忠誠心、大敵を撃破する智略と義、悲劇的な最期を軍部が利用したのである。

◆湊川神社と日本人の心  戦後、一部の「進歩的文化人」は、湊川神社と正成を語ることは戦前の体制を賛美することであるとして禁忌してきた。この意見は的を射ていない。湊川神社と正成を利用したのは軍部であり、利用された神社や正成には何の責任もない。国を挙げて戦争をしていた時代である。「進歩的」ともてはやされている某大新聞も、戦時中は戦意高揚と聖戦遂行を積極的に扇動していた。

 進歩的文化人には天皇の戦争責任を追及し、天皇制を否定する人までいた。この考えにも同調できない。天皇は憲法で日本国の象徴、日本国民統合の象徴と規定されており、国民から崇敬されている。大英帝国は女王陛下がおられるからこそ、他の国とは一味違う風格を持つ国なのである。同様に、天皇制を持ち天皇陛下を崇敬する国民がいるからこそ、日本は品格ある国として評価されていることを忘れてはならない。

東日本大震災で被災した日本人が、想像を絶する過酷な環境の中でも、人間としての誇りを失わず、勇気と礼節を持ち続けて助け合ってきた。その姿が海外に報道され、世界中に感動を与えた。マイケル・サンデル博士は、ハリケーン被災時の米国人と、震災地の日本人の態度を対比し、日本人の行動を絶賛している。日本人は、伝統的に、礼節、信義を重んじ、相手を尊重するという美徳を持っており、楠木正成はこの日本人の美徳を体現している。正成を祀る湊川神社を大切にすることは、日本人の魂を守り後世に伝えていくことにつながるのである。

湊川神社神職による禊(2012年12月31日)
 
 

神戸市シルバーカレッジ 「湊川神社物語」(『セルポート』2013.2.21号)


『セルポート』2013221日号(連載通算第435号)
「なんこうさん物語~湊川神社から見た神戸の近現代~(第2部)」第103

シルバーカレッジ学生と「神戸又新日報」

◆「神戸又新日報」  前号で、神戸市シルバーカレッジ卒業生による「明治神戸教育史」に関する「神戸又新日報」記事スクラップ集を紹介した。3人のシニア市民が、神戸市文書館の「神戸又新日報」の複写簿冊から、5年の歳月をかけて作成した労作である。

「神戸又新日報」は、兵庫・神戸の地域史研究に必要不可欠な基礎資料であり、神戸近現代史を紹介するこの連載でも「神戸又新日報」の記事を多用している。

神戸市立中央図書館には「神戸又新日報」「神戸新聞」を初め、主要新聞がマイクロフィルムで保管されており、だれでも閲覧することができる。

高齢者が、マイクロフィルムで保存されている新聞を閲覧することは容易ではない。まず目が疲れ、30分も検索すると頭がくらくらして気分が悪くなる。いつの日か、過去の新聞がネットで簡単に検索できるようになる日が来ることを願っている。文書館の「神戸又新日報」記事複写の簿冊は、紙面全体を一覧できるので、目的記事を探すことも、前後の記事の検索も容易である。

◆神戸市シルバーカレッジ  神戸市シルバーカレッジ(しあわせの村)は、平成5年に開設された3年制の生涯学習施設で、目的は「高齢者の豊富な経験・知識・技能をさらに高めその成果を社会に還元するための学習・ふれあいの場」とすることである。「求める学生像」は「地域活動、ボランティア活動に理解と熱意をもつ人」であり、学是は「再び学んで他のために」である。カレッジには、健康福祉、生活環境、国際交流・協力、総合芸術の4コースがあり、入学資格は、57歳以上の市民であれば、学歴、経歴は問わない。

◆国際交流・協力コースの卒業研究  カレッジの3年生には「グル―プ学習」が待ち受けている。学生たちはグループごとに卒業論文を仕上げなければならない。研究テーマは学生が自主的に決めて参加者を募り、100人の学生がテーマごとに約10チームに分かれて研究を進める。「国際」の研究対象は、世界の地域研究、国際事情、地球的諸課題、姉妹都市等、「国内」は、神戸市の歴史・現在・未来、教育、文化、経済、地域開発、人物研究等が多い。20133月卒業生の研究テーマは、西村旅館、6つの飲み物、はやぶさ、小笠原諸島、神戸の外国料理店探訪、シンガポール、シルクロード、ミャンマー、シアトル、韓国の英語教育、親善協力都市・大邱、マレーシアである。

シニア学生が、グループで研究を進める姿を見るのは楽しい。年末の発表会では、各チームが創意工夫を凝らしたパワーポイントを駆使して研究成果を披露する。

私は、他の2人の教員と共に、グループ学習のお手伝いをしている。研究成果のレポート集は中央図書館の「ふるさとコーナー」に展示されており、誰でも閲覧することができる。社会経験を積んだ熱心なシニア学生の研究成果であるので、ときには、大学院の修士論文として通用するような論文もある。