2015年1月27日火曜日

阪神淡路大震災から20年


神戸今昔物語(第498号)湊川神社物語(第2部)

「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(41

 
阪神淡路大震災

 
◆阪神淡路大震災20  大震災から20年が経過した。震災時、筆者は、神戸と関空を結ぶ超高速艇K-JET社の専務をしていた。KJETの発着場は、ポートアイランド2期の航空旅客ターミナルであった。桟橋上から市街地を見ると、震災の数日後でも、あちこちで、黒い煙があがっていた。

神戸と市外を結ぶ鉄道線路も、高速道路も倒壊していた。市外へ出るには海路しかない。鉄道、道路の代替輸送手段として、メリケンパークの岸壁と大阪天保山を結ぶ臨時航路が開設された。

◆孤島ポートアイランド  神戸大橋が損壊し、ポートアイランドは完全な孤島になった。ライフラインは壊滅し、電気、上水道、ガスも使えなかった。ポートアイランドの住宅は中高層ばかりである。高齢者も多かった。停電、断水、ガスがなければ住民は生活できない。エレベータは止まっていた。

震災当日の夜、人々は島外へ避難しようとした。住民が市外へ出る手段は、K-JETだけだった。彼等は、最小限の荷物とペットを抱えて、真っ暗な階段を、手すりを頼りに下りた。道路は、液状化現象で梅雨時の田圃のようであった。街灯も消えて真っ暗である。彼等はその中を歩いて船着き場に向かった。

船客ターミナル玄関で待機していた筆者に、闇の中から、ぽつりぽつりと現れてゆっくり近づいてくる黒い人影が見えた。ターミナルには予備の自家発電装置で照明があった。到着した人たちは、一様に、ひざまで泥水に浸かっていた。高齢者も多かった。彼等は、その夜、泥に汚れた待合室ロビーの床に新聞紙や毛布を敷き、その上で一夜を明かした。凍てつくような寒い日であった。暖房はない。水洗トイレの汚物が断水で流れなかった。翌朝、係員総出で、山盛りの汚物を海水で流した。

震災翌日、ポートアイランドにあるホテルの宿泊客約220人を関空まで輸送した。地震を初めて経験した外国人客の顔は一様にこわばっていた。

フランスの災害救助隊も救助犬を連れてKJETで神戸に来た。

◆燃料輸送  4隻の高速艇を関空航路と天保山航路にそれぞれ2隻投入した。地下タンクに保管していた燃料はすぐになくなった。燃料がなければ運航できない。県警に依頼して、大阪からタンクローリー車をパトカーに先導してもらい燃料を運んだ。

◆ごみ焼却場稼働  市街地とポートアイランドを結ぶ鉄製の仮橋が完成した。ポートアイランド2期の東南部に焼却場が建設され、市街地から出るがれきを24時間体制で焼却していた。高い煙突から、白い煙が絶え間なく吐き出されていた。

◆神戸村から国際港湾都市へ  1868年の開港は神戸村を劇的に変えた。各国は外国人居留地に領事館を開き、欧米の貿易商が商館を開設した。国内各地からも人々が移住してきた。神戸は、我が国を代表する国際港湾都市として発展してきた。その神戸が地震で一瞬にして壊滅したのである。

あれから20年、神戸は美しい街に生まれ変わった。

※ 本稿から引用する場合は、必ず、当ブログからの引用と明記してください。

2015年1月10日土曜日

神戸市シルバーカレッジ・シニア学生のパン研究が契機で「日本パン学会」

『セルポート」2015.1.1

神戸今昔物語(第497号)湊川神社物語(第2部)
       「湊川神社初代宮司・折田年秀が見た居留地時代の神戸」(40

日本パン学会(3)シニアパワーで学会設立
 
◆シニアパワー  昨年12月、「日本パン学会」を立ち上げた。パン文化の振興とパン業界の発展を目的とする「学際的学会」である。立ち上げの契機は、神戸市シルバーカレッジ・国際交流・協力コースの学生による「パン研究」である。

神戸市シルバーカレッジは、市立の生涯学習機関(3年制)で、健康福祉、国際交流・協力、生活環境、総合芸術(美術・工芸、音楽文化、園芸、食文化)の4コースで、1,100人の学生(平均年齢70歳)が学んでいる。「再び学んで他のために」が学是である。

◆卒業研究  カレッジでは、3年次になるとグループ毎にテーマを決めて卒業研究に取り組む。筆者は論文作成指導教員である。

2014年春にカレッジを卒業した「パン研究グループ」が、研究報告書「神戸・パン物語」をまとめあげた。メンバー5人の現役時代の職業は、歯科医、銀行員、会社員、宝石商等である。シニア学生たちは、文献調査だけでなくパン事業者、技術者、職人等にインタビューし報告書にまとめた。

20年前の阪神淡路大震災では、神戸市内のパン製造業者が甚大な被害を受けた。震災後も、破損した生産設備の復旧、ライフラインの不通、原料入手困難等が続き、生産が停滞し、復活まで長期間の空白が生じた。このとき、他府県の大手業者が神戸に商品を供給し、市内での販売シェアを拡大した。

◆学会設立  パンに関する研究機関は数多くあり、それぞれ立派な成果を挙げている。けれども、それらはすべて供給者視点の研究組織である。研究者、供給者、消費者等を含めた「学際的学会」が必要であると筆者は考えた。

2014319日、筆者の研究室で、知人の合田清神戸学院大学名誉教授とカレッジパン研究メンバーが集まり、パン学会設立について協議した。議論の結果、学識経験者(文系、理系)、パン製造者、パン関連業界(機器、製粉、化学等)、消費者等で構成する学会を設立することとなり、準備事務局を筆者の研究室に設置した。

◆学際的学会  事務局は、まず、新野幸次郎先生(神戸大学元学長、神戸都市問題研究所理事長)と、食文化研究の泰斗石毛直道先生(国立民俗学博物館名誉教授、総合研究大学院名誉教授)を訪問し指導をお願いした。両先生とも快く協力を約束してくださった。

合田教授(栄養生化学)と筆者が、知り合いの研究者に学会設立への協力を働きかけた。経済学、経営学、マーケティング、国際法、国際関係、社会福祉、音楽民俗学、パン文化、パン科学、栄養学、化学、穀物科学等の研究者が、学会に参加してくれることとなった。

◆業界も期待  業界への働きかけは、カレッジ卒業生たちが担当した。彼等は研究過程で多くのパン事業者にインタビューしているので人脈がある。「全日本パン協同組合連合会」の西川隆雄会長が、学会への全面協力を約束してくださった。強力な援軍の出現で、学会設立に弾みがつくことになった。


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