2013年6月24日月曜日

改正条約施行 内地雑居 「新営業の始まり ラシャメンの増加」神戸又新日報


『セルポート』2013621日号(連載通算第446号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁(10) 「新営業の始まり」

◆「新営業の始まり」  カットをご覧いただきたい。「ラシャメン問屋」の看板を掲げた店先に、西洋風ドレスを着た3人の女性が、正面を向いて椅子に座って並んでいる。2年後の新条約発効による「内地雑居」を新たなビジネスチャンスと見た人が、ラシャメンの卸売店を始めたのである。「ラシャメン」とは、「①面羊、②(江戸末期から明治初期に)外国人のめかけになった日本女性を言った言葉。外妾」(『新明解国語辞典』)である。

◆英国領事館の新聞広告  「神戸又新日報」(明治19113日号)の広告欄で、こんな「見出し」の広告を見つけた。

「元ト大坂、近時神戸滞留、故トマス・ジョルジェス後家リエ・ジョルジェス遺産一件」(句読点、筆者)。

「去十二月一日、神戸ニテ死亡セル、リエノ所有金子、或ハ、物品ヲ持スル人々ハ、総テ、不取敢、之ヲ日本英国裁判長代理トスル神戸英国領事エ渡ス可キ者トス、又同人エ対シテノ負債ハ、直チニ当庁エ可届出   神戸居留地九番」。

「居留地九番」は、神戸英国領事館である。当時、居留地の領事館、商館等は、名称ではなく区画番号で呼ばれることが多かった。居留地9番は、現在の市立博物館の南、海岸通に面した区画である。

トマス・ジョルジェス氏の未亡人であるジョルジェス・リエさんが、去る121日に神戸で死亡したので、リエさん所有の現金、財産等一切を「日本における英国裁判長代理」である神戸の英国領事に引き渡し、負債も直ちに領事館に届け出よ、との内容である。

「外国領事裁判権」を認めた不平等条約時代であったので、「日本における英国裁判長」は横浜の英国領事で、神戸の英国領事は「英国裁判長代理」であった。この時の領事はジェームス・トループである。トループ領事がなぜこの広告を出したのかはわからない。双方の遺族の相続争いがあったのではないだろうか。

◆「英人日本婦人を雇いこまんとす」  明治19126日付「神戸又新日報」にこんな見出しの記事を見つけた。

「近頃、英人にて、日本婦人の十八年以上二十五年以下の者数名を、何年間かの約束にて雇込んとて、巳に当神戸に来着し、目下、三ノ宮辺に寓し、頻りに周旋中のよしなるが、其雇入れの名義は、件(くだん)の婦人を本国に連れ帰りて、子守婦に充てんとするなりとの事なれ共、又一説には、其往き着く先は英国にあらで、或は香港かシンガポール辺に上陸せしめ、例の売春婦になさんとの目論見なりとの事なれば、右英人に雇入れられる婦人は、能く能く其の英人の身元人物を取調べ、条約等も随分厳密詳細に取替はすへし、併し成るべくは、其雇聘に応ぜぬことこそ、宜しかるへし」。  

最近、三ノ宮近辺で、英国人が18歳から25歳までの日本人女性に、英国で子守の仕事をさせると偽り、香港やシンガポールへ送って売春をさせているような話があるので騙されないように、との記事である。

最近、どこかで聞いたあの発言を彷彿とさせる話である。

2013年6月21日金曜日

公開講座(6月29日 土) 第1回神戸市長選挙 於:神戸山手大学

神戸山手大学 公開講座

 楠本利夫の神戸山手大学「神戸学講座~私の神戸近現代史案内~」のひとつです。
1.テーマ:「第1回神戸市長選挙~兵庫と神戸の激突~」
2.とき :2013年6月29日(土)1400~1530
3.ところ:神戸山手大学(地下鉄元町駅北8分。JR元町駅北西13分。相楽園の西)
4.受講料:1200円。
5.問合せ:神戸山手大学生涯学習センター(078-351-7170)
6.後期予定:今年秋期は次のテーマを予定しています。
   1回(10 5)神戸外国人居留地~国際都市神戸の原点~
2回(1019)第1回神戸みなとの祭と大楠公六百年大祭
3回(1026)神戸3つの海上都市物語~都市発展の戦略基地・海上都市~
4回(119)湊川神社神戸創建秘話
5回(1130)国際都市神戸の系譜~神戸の150年~

 










 

2013年6月12日水曜日

改正条約施行 「内地雑居」 文化と文明 ニコライ皇太子湊川神社参拝


『セルポート』2013611日号(連載通算第445号)「神戸今昔物語」

内地雑居の暁(9) 「クリヤ礼拝せぬか」

◆内地雑居  改正条約が発効して内地雑居が実現すれば、外国人も、日本人と同様に、どこにでも居住し、どこへでも自由にも行くことができることになる。内地雑居で外国人と日本人の接触機会が増え、文化摩擦が発生することは避けられない。

カットの「クリヤ礼拝せぬか 貴君(あなた)圧政あり舛」は、神社で、神主が外国人に神社参拝の礼儀を強引に教えているところである。帽子を脱がずに、靴をはいたまま昇壇した外国人が、神主に首根っこを押さられて、神を敬い礼拝せよ、と注意され、「圧政だ」と抗議している。

幕末、横浜郊外で発生した生麦事件(1862年)も、開港直後の神戸で偶発した神戸事件(1868年)も、日本の文化、習慣についての知識がなかった外国人が、武士の隊列と遭遇した際に起こした不幸な事件である。

◆文化と文明  長い鎖国を解いた日本は、西欧の文明国に追いつこうと必死に努力した。井上薫外務卿は、日本が文明国であることを外国側に認めさせなければ、外国は不平等条約改正に応じてくれないとして、鹿鳴館外交を展開した。当時の日本人の価値観では、鹿鳴館でダンスすることには違和感がある。井上の涙ぐましい努力は、文化と文明を混同しているように思えてならない。

文化と文明の違いは何か。文化とは、民族や社会の風習、伝統、思考方法、価値観などの総称であり、世代を通じて伝承されていくものである。辞書には、「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)」(『新明解国語辞典』)とある。

辞書では、文明についての記述は極めて長い。要約すると、文明は、野蛮から脱した「人間の技術的・物質的所産」(『広辞苑』)である。文明の対比語は野蛮・無知である。筆者は、「文化は心、文明はモノ(知識・技術・洗練)であると考えている。

◆ニコライ皇太子の湊川神社参拝  明治24年、ロシア帝国ニコライ皇太子が、湊川神社を参拝した際、同行した林董(ただす)兵庫県知事を震撼させる場面があった。

 59日、ロシア帝国ニコライ皇太子は大艦隊を率いて神戸に入港した。皇太子は、お召艦から小型艇に乗り、弁天浜の明治天皇御用邸の裏桟橋から御用邸に入った。

御用邸で、市民が、瓦煎餅、キリンビール等を献上した。その後、皇太子は、人力車40台を連ねて市内視察に出かけた。車列は、御用邸から宇治川沿いに北上し、東へ折れて栄町通を進み、居留地の北側を通って、生田森散策、生田神社参拝、諏訪山金星台から神戸港を展望した、湊川神社に到着した。

正門で湊川神社宮司折田年秀が皇太子を出迎えた。皇太子を奥殿に案内した宮司は、奥殿の階段を先行して昇り、壇上から振り向いて、皇太子に昇殿を促す動作をした。知事は、皇太子が土足のまま昇殿するのではないかと、一瞬肝をつぶした。

階段の下で立ったまま壇上の宮司を見上げていた皇太子は、やがて、その場で帽子を脱ぎ、姿勢を正して奥殿に向かって深々と頭を下げた。
2日後、皇太子は、大津で警備の警官にサーベルで切りつけられ、額に傷を負った。日本中を震撼させた「大津事件」である。